この項目では、クロアチアの都市について説明しています。スロヴェニアの都市については「ドブロヴニク」をご覧ください。
ドゥブロヴニク
市・基礎自治体
Grad Dubrovnik
ドゥブロヴニク旧市街の城壁
旗
紋章
愛称: "Pearl of the Adriatic"(アドリア海の真珠), "Thesaurum mundi"(世界の宝)
1995年のドゥブロヴニクの地図
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯42度38分25秒 東経18度06分30秒 / 北緯42.64028度 東経18.10833度 / 42.64028; 18.10833
ドゥブロヴニク(クロアチア語: Dubrovnik、イタリア語: Ragusa、ラテン語: Ragusium、ドイツ語: Ragusa, Ragus)は、クロアチア、アドリア海沿岸のダルマチア最南部に位置する都市及び基礎自治体で、ドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡の郡都である。日本語でドブロブニク、ドブロヴニクとも表記される[2][3]。ボスニア・ヘルツェゴビナの唯一の海港であるネウムが回廊状態で分断しているため、クロアチア本土の飛び地になっていた。しかし2022年7月26日に本土側とペリェシャツ半島を結ぶペリェシャツ橋が開通し、両地区は国境を超えずに往来できるようになった。
1979年に世界遺産に登録された旧市街は「アドリア海の真珠」とも謳われる美しい町並みを誇る[4]。アドリア海沿岸でも傑出した観光地であり、多数のクルーズ船が寄港する他、地中海各都市とフェリーで結ばれドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡の中心都市となっている。人口は2011年に行われた国勢調査で42,641人である。そのうち、約28,000人はドゥブロヴニク市街に居住している。2001年の国勢調査ではクロアチア人は住民の88.39%を占めていた。
ドゥブロヴニクは歴史的に海洋貿易によって栄えた都市で、中世のラグーサ共和国はアマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィアなどと共に5つの海洋共和国に数えられ、アドリア海ではドゥブロヴニクのライバルとなりうる都市国家はヴェネツィア共和国だけであった。巧みな外交術と豊富な富に支えられ15世紀から16世紀にかけてはとくに発展している。1970年代、恒久的に戦争による破壊から守るために非武装化されたが、1991年のユーゴスラビア崩壊に伴う紛争でセルビア・モンテネグロ勢力によって7ヶ月間包囲(ドゥブロヴニク包囲(英語版))され砲撃により多大な損害を蒙った。 町の起源は古くローマ帝国時代、あるいはそれ以前に溯るとされている。町のイタリア語名ラグーザ[5] は、当時のラテン語名ラグシウムに由来する。歴史的に7世紀頃ラウス (Laus) と名付けられていた岩島に近くの都市エピダウロス (Epidaurus) からのダルマチア人
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