ドゥブロヴニク
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この項目では、クロアチアの都市について説明しています。スロヴェニアの都市については「ドブロヴニク」をご覧ください。

ドゥブロヴニク
市・基礎自治体
Grad Dubrovnik
ドゥブロヴニク旧市街の城壁



紋章

愛称: "Pearl of the Adriatic"(アドリア海の真珠), "Thesaurum mundi"(世界の宝)
1995年のドゥブロヴニクの地図
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯42度38分25秒 東経18度06分30秒 / 北緯42.64028度 東経18.10833度 / 42.64028; 18.10833座標: 北緯42度38分25秒 東経18度06分30秒 / 北緯42.64028度 東経18.10833度 / 42.64028; 18.10833
クロアチア
ドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡
政府
 ? 市長Andro Vlahu?i? (CPP)
面積
 ? 市・基礎自治体21.35 km2
標高3 m
人口(2011)[1]
 ? 市・基礎自治体42,615人
 ? 密度2,000人/km2
 ? 都市部28,434人
等時帯UTC+1 (CET)
 ? 夏時間UTC+2 (CEST)
郵便番号20000
市外局番020
ナンバープレートDU
ウェブサイト ⇒http://www.dubrovnik.hr/
プラツァ通りスポンザ宮殿ミンチェタ要塞オノフリオの大噴水

ドゥブロヴニク(クロアチア語: Dubrovnik、イタリア語: Ragusa、ラテン語: Ragusium、ドイツ語: Ragusa, Ragus)は、クロアチアアドリア海沿岸のダルマチア最南部に位置する都市及び基礎自治体で、ドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡の郡都である。日本語でドブロブニク、ドブロヴニクとも表記される[2][3]ボスニア・ヘルツェゴビナの唯一の海港であるネウムが回廊状態で分断しているため、クロアチア本土の飛び地になっていた。しかし2022年7月26日に本土側とペリェシャツ半島を結ぶペリェシャツ橋が開通し、両地区は国境を超えずに往来できるようになった。

1979年世界遺産に登録された旧市街は「アドリア海真珠」とも謳われる美しい町並みを誇る[4]。アドリア海沿岸でも傑出した観光地であり、多数のクルーズ船が寄港する他、地中海各都市とフェリーで結ばれドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡の中心都市となっている。人口は2011年に行われた国勢調査で42,641人である。そのうち、約28,000人はドゥブロヴニク市街に居住している。2001年の国勢調査ではクロアチア人は住民の88.39%を占めていた。

ドゥブロヴニクは歴史的に海洋貿易によって栄えた都市で、中世ラグーサ共和国アマルフィピサジェノヴァヴェネツィアなどと共に5つの海洋共和国に数えられ、アドリア海ではドゥブロヴニクのライバルとなりうる都市国家ヴェネツィア共和国だけであった。巧みな外交術と豊富な富に支えられ15世紀から16世紀にかけてはとくに発展している。1970年代、恒久的に戦争による破壊から守るために非武装化されたが、1991年のユーゴスラビア崩壊に伴う紛争でセルビア・モンテネグロ勢力によって7ヶ月間包囲(ドゥブロヴニク包囲(英語版))され砲撃により多大な損害を蒙った。
歴史

町の起源は古くローマ帝国時代、あるいはそれ以前に溯るとされている。町のイタリア語名ラグーザ[5] は、当時のラテン語名ラグシウムに由来する。歴史的に7世紀頃ラウス (Laus) と名付けられていた岩島に近くの都市エピダウロス (Epidaurus) からのダルマチア人の避難民が、スラヴ人の侵略から逃れるために成立したとされる[6] 他、8世紀からのビザンチンバジリカや城壁の一部などの新たな考古学的な発見を基にした説もあり、従来からの説が異議を唱えられることもある。バジリカは当時、相当に大きな居住地が形成されていたことを示している。また、科学的な類似性によってラグーサは紀元以前に大規模な建築が行われた説も増えてきている。「ギリシャ説」は最近の発見によって増えてきており、ドゥブロヴニク港周辺での発掘で多くのギリシャ様式の遺物が発見されている。市内の主要道路の穴からは自然な砂が現れ、ラウス (Laus)、ラウサ島 (Lausa) 説は否定された。

アントゥン・ニチェティッチ博士 (Antun Ni?eti?) の「ドゥブロヴニク港の歴史」(Povijest dubrova?ke luke) によれば、ドゥブロヴニクはギリシャ人船員によって成立されたとしている。鍵となる要素は古代船は1日当たり45-50海里の航海をし、夜間は休息と停泊するための砂浜が必要であったことである。停泊地の理想としては新鮮な水源が付近にあることであった。ドゥブロヴニクは2つを兼ね備えており、ギリシャ人の居住地として知られたブドヴァコルチュラ島の95海里離れた2つの地点を結ぶ中間に位置していた。
ラグーサ共和国「ラグサ共和国」も参照

東ゴート王国崩壊後、町はビザンティン帝国の下保護国の都市国家として沿岸部のセルビア人などと交流があった。十字軍の後、ラグーサはヴェネチア主権(1205年-1358年)の下に入り、ダルマチアの都市として権利を得ている。1358年、ザダル平和条約が結ばれ隷属関係にあったハンガリー王国から独立を果たす。14世紀から1808年までラグーサは自由国として存続した。15世紀から16世紀にかけて最盛期を迎えヴェネツィア共和国や他のイタリアの海洋都市国家がライバルであった。1272年にラグーサ共和国は自治権を獲得し、ローマ法や地元の慣習を成文化している。法令には都市計画や公衆衛生上の検疫に関する規則も含まれていた[7]

ラグサ共和国の時代、この町ではイタリア系とスラヴ系の住民が一貫して共存し、共に繁栄を支えていた。もともとイタリア系住民が住んでいた島の部分とスラヴ系住民の住む対岸の集落の間にある海峡を埋め立てることによって、両者の一体化はさらに進んだ。共和国では早い段階から現代的な法体系が整備されており、1301年には医療制度が確立しており1317年に現在でも営業している最初の薬局が開業している。1347年養老院1377年には隔離病棟が開かれた。1418年には奴隷貿易は廃止され、1432年孤児院が開かれている。1436年に約20kmの水道施設が完成している。そもそもこの町は後背地であるボスニアやセルビアで産出される鉱石の積出港として栄えていたが、15世紀にオスマン帝国がバルカン半島の内部へと進出してくるとその宗主権を認め、ヴェネツィアがオスマン帝国と度々戦争状態に入りその都度停滞したのとは裏腹に、かつてヴェネツィアが独占的に果たしていた東西交易の中での役割をより確かなものとしていった。貴族階級を含め、17世紀まで共和国の住人のほとんどはラテン由来の人々であったが周辺部からクロアチア人が移住するようになった。


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