ドゥッラーニー部族連合
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ドゥッラーニー部族連合(ドゥッラーニーぶぞくれんごう、英語: Durrani)とは、パシュトゥーン人の部族連合の1つである。かつてはアブダーリー族と呼ばれていた。
概要

ドゥッラーニー部族連合はパシュトゥーン人の二大部族連合の1つである。ドゥッラーニー部族連合はアフガニスタンカンダハール州を中心とするアフガニスタン南西部の部族で構成されている[1]18世紀サドーザイ朝を作ったポーパルザイ族のサドーザイ氏族や、20世紀まで続いたバーラクザイ朝を作ったバーラクザイ族が有名である[1]
歴史
サドーザイ朝成立まで

16世紀にパシュトゥーン人はスレイマン山脈からヘラートやカンダハールなどの幹線地域に進出した。17世紀、ドゥッラーニー部族連合の前身であるアブダーリー族はヘラートに居て、サファヴィー朝の下で街道警備を行っていた。部族長の一人であるサドーはアッバース1世から部族連合の長に任命され、サドーザイ氏族の始祖となった。この頃カンダハールのギルザイ族もサファヴィー朝に従っていたが、宗教上の理由で反旗を翻し、1709年にホータキー朝を作った。

ホータキー朝とサファヴィー朝の争いは1729年まで続き、サファヴィー朝のナーディル・シャーがホータキー朝を倒した。1732年、ナーディル・シャーは戦争中に自立していたアブダーリー族に対しても戦端を開き、ヘラートを占領した。アブダーリー族は西へ追放され、ナーディル・シャーの部下になった。1736年、ナーディル・シャーはサファヴィー朝を簒奪してアフシャール朝を作り、広大な地域を征服した。

しかし1747年に暗殺され、同年サドーザイ氏族のアフマド・ハーン・アブダーリーことアフマド・シャー・ドゥッラーニーが自立して、サドーザイ朝を興した[2]
部族
カンダハール

カンダハールを中心に、ズィーラクの末裔とパンジパーオの末裔が居る[1]

ズィーラク(英語: Zirak)の末裔は以下の部族である。

ポーパルザイ族[1]
サドーザイ朝を興したサドーザイ氏族などが居る。アフガニスタン大統領のハーミド・カルザイなど。

バーラクザイ族[1]
バーラクザイ朝を興した部族。アフガニスタン元国王のザーヒル・シャーなど。

アチャークザイ族[1]
カンダハール州の警察長官のアブドゥル・ラジク・アチャークザイなど。

アリーゴザイ族[1]

パンジパーオ(英語: Panjpai)の末裔は以下の部族である。

ヌールザイ族[1]

アリーザイ族[1]

イスハークザイ族[1]

パキスタン

カンダハールの東からパキスタン東部に居る縁戚の部族である[1]

スピーン・タリーン族[1]

トール・タリーン族[1]

スライマン山脈周辺にも以下の部族が居る[1]

シェーラーニー族[1]

脚注^ a b c d e f g h i j k l m n o ヴィレム・フォーヘルサング『アフガニスタンの歴史と文化』明石書店、2005年、51-54頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4750320700。 
^ 「アフガニスタンの歴史と文化」P339-350

関連項目

ギルザイ部族連合

典拠管理データベース: 国立図書館

フランス

BnF data

イスラエル

アメリカ


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