ドイツ連邦軍
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ドイツ連邦軍
Bundeswehr
鉄十字(ドイツ連邦軍主権紋章)
創設1955年11月12日
再組織1990年10月2日
派生組織

陸軍

海軍

空軍

戦力基盤軍

救護業務軍

サイバー・情報空間軍(ドイツ語版)

本部ボンベルリンポツダム
指揮官
連邦首相オラフ・ショルツ(戦時最高指揮権)
連邦軍総監カーステン・ブロイヤー
連邦国防大臣ボリス・ピストリウス (平時最高指揮権)
総人員
兵役適齢17
徴兵制度無し (2011年7月4日中止)
適用年齢17 - 49
-適齢総数
(2019)男性 1959万4118、年齢 17 - 49
女性 1574万7493、年齢 17 - 49
-年間適齢
到達人数
(2019)44万5048
現総人員約18万人[1]
財政
予算

519.5億ユーロ(2024年)
717.5億ユーロ(2024年)特別資産の第2トランシェを含む[2]
軍費/GDP2,01 % (2024)[3]
関連項目
歴史ドイツ軍
冷戦
湾岸戦争
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ドイツ連邦軍(ドイツれんぽうぐん、: Bundeswehr ブンデスヴェーア)は、ドイツ連邦共和国の軍隊を指し、ドイツ陸軍海軍空軍および戦力基盤軍救護業務軍、サイバー情報空間軍で構成される。なお、現行のドイツ基本法により国防に関する責任は連邦政府が負っているため、16ある州が独自の軍隊を保有することは許されない。

2021年12月現在、ドイツ連邦軍は18万3695人の兵士と8万1931人の文官、3万0050人の予備役により構成されており、ヨーロッパにおいてはフランス軍に次ぐ規模である。またドイツの2021年の軍事費は573億ユーロ(648億ドル)であり、GDP比1.53%となっている。これはNATOが目標とする2%を大きく下回っているが、軍事費の金額としては世界第7位となっている。なお、ドイツは、2025年までに兵士を20万3000人まで増員する計画である。
構成
軍・部隊

ドイツ連邦共和国基本法により最高指揮権は平時にあっては国防大臣(第65a条)、戦時は首相に移る(第115b条)。

陸軍: Heer)

海軍(独:Marine)

空軍(独:Luftwaffe)

戦力基盤軍(統合後方支援軍、独:Streitkraftebasis、2000年の連邦軍改革で3軍に共通する指揮兵站通信憲兵・教育などを統合)

救護業務軍(統合衛生軍、独:Zentraler Sanitatsdienst、2000年の連邦軍改革で3軍の医療部隊を統合して、共通の医療部隊を形成)

サイバー・情報空間軍(ドイツ語版)(独:Kommando Cyber- und Informationsraum、2016年4月26日のウルズラ・フォン・デア・ライエン国防大臣の提言により2017年4月5日に新設されたサイバー戦部隊)

徴兵制

ドイツは長年徴兵制度があり、満18歳以上の男子には兵役義務があった。連邦軍発足当初は、志願兵制を導入していたが、第二次大戦の後遺症で国民の反軍感情、反戦意識は根強く、志願制に頼っていては人員を確保できなかったからである[4]。徴兵制の施行にあたっては、第二次世界大戦の歴史的経緯を踏まえて、良心的兵役拒否も申請することが認められた。この場合には、代替義務 (Zivildienst)として病院、老人介護施設等の社会福祉施設で兵役義務と同じ期間だけ社会貢献することになっていた。

2011年7月4日、正式に徴兵制の「中止」が発表され、2014年には職業軍人と志願兵による部隊に再編された。今後の安全保障環境の変化によっては復活させる可能性にも含みを残しているが、事実上の廃止と考えられている[5]。しかし、徴兵制が廃止されると、その代替義務も無くなることになり、これまで男性によって成り立ってきたドイツの社会福祉政策は大きな転換を迫られることとなった[6]
人員

1975年以来ドイツ連邦軍内に女性軍人が配属されているが、当初は医療部隊への配属にとどまっていた。ある女性軍人はこれを不服として裁判に訴え、欧州司法裁判所2000年、女性がこれまで以上により幅広い役割を軍隊内で果たすよう認めるべきであるという判決を下した。結果2001年より、女性軍人は連邦軍内のあらゆる任務に制限なく就けるようになった。連邦軍には1万3千人の女性が平和維持活動や他の作戦行動などあらゆる軍務についており、その他多くの女性が予備役となっている。

一方、女性は徴兵制の対象にはなっていなかったためにある男性が「男性に対してのみ兵役を強制することは男性差別であり、憲法違反だ」として訴訟を起こしたが、憲法裁判所は男性に対してのみの徴兵制は合憲だという判決を出した。また、ある男性が、たまたま運悪く、徴兵の対象者に選ばれて出頭を求められた際に、徴兵制自体を不服として裁判を起こした例では、「現在のドイツではごく一部の男子のみが対象になっており、徴兵制の精神である、あらゆる国民が平等に国防の責任を負担するという機能は失われており、徴兵に服する必要は無い」という判例も出ており、その結果、徴兵の対象者に選ばれても自由に拒否できる状態になっていた。
歴史
冷戦期(1955年-1990年)

ドイツ連邦共和国(西ドイツ)1955年再軍備を開始した。

第二次世界大戦に敗れたドイツは完全に武装解除され、連合国の命令でいかなる種類の再軍備計画も禁止されていた。小規模な国境警備隊機雷の掃海部隊はあったが、国軍は設置されず、占領下ドイツの国防には連合国のうち4か国、アメリカ合衆国イギリスフランスソビエト連邦の各軍が責任を持っていた。

しかし、朝鮮戦争後の西側諸国東側諸国の間の緊張の高まりによってドイツ非武装化政策に変化が生じた。ソ連の下でドイツ民主共和国(東ドイツ)がすでに密かに再軍備を行ったことで、米英仏も西ドイツの再軍備の検討を解禁した。1950年に新しい西ドイツ軍創設のための基本構想の策定が始まり、コンラート・アデナウアー初代連邦首相ラインラント=プファルツ州のヒンメロート修道院(英語版)にホイジンガーシュパイデルなど旧ドイツ国防軍の将軍15名を集め、再軍備の技術的な可能性を検討させた。専門委員会の検討の結果、西ドイツの新しい軍の基本構想(ヒンメロート覚書)が固まった。これに基づき、連邦議会議員テオドール・ブランクが新国軍の設置準備を進めた。これゆえ連邦国防省の前身を「ブランク局(Amt Blank)」と呼ぶ。しかし、旧軍出身の15名の専門委員に新国軍の設置準備に参画することは求めなかった。またナチスに一方的に「汚された」とされた旧国防軍の伝統との「決別」を明確に示した。そのため西ドイツ時代から現在のドイツ連邦軍にはアメリカ合衆国の影響が強く、軍服や階級についてもプロイセン帝政ドイツ色はわずかしか残っていない。

旧国防軍の装甲兵大将であった自由民主党のリベラル派政治家ハッソ・フォン・マントイフェルが新しい国軍に「Bundeswehr」(Bund = 連邦、Wehr = 防衛軍)の名を提案し、ドイツ連邦議会において承認された(ナチス・ドイツ時代は「Wehrmacht」(国防軍)といわれていた)。


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