ドイツ自然科学アカデミー・レオポルディーナ
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国立科学アカデミー
レオポルディーナ

標語"nunquam otiosus"
(ラテン語で「休むな」の意)
設立1652年1月1日
設立者ヨハン・ローレンツ・バウシュ
種類国立学術機関
目的科学
本部ドイツ
ザクセン=アンハルト州ハレ
会員数1,400名
ウェブサイト ⇒www.leopoldina.org
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国立科学アカデミー・レオポルディーナ (こくりつかがくアカデミー・レオポルディーナ、ドイツ語名:Nationale Akademie der Wissenschaften Leopoldina、英語名:National Academy of Sciences Leopoldina) は、ドイツ国立アカデミー (学術団体) である。

歴史的には2007年に国立となるまで、「ドイツ自然科学アカデミー・レオポルディーナ」(ドイツ語名:Deutsche Akademie der Naturforscher Leopoldina) として知られていた。

ドイツザクセン=アンハルト州ハレにあり、創立は1652年で、現存する世界最古の学会[1]であるとしている[2]
歴史レオポルト1世Miscellanea Curiosa (1692)Miscellanea Curiosa 口絵(1688)

会は1652年シュヴァインフルトラテン語名「Academia Naturae Curiosorum」[3]として創立された[4]。創立メンバーは何れも内科医で、初代会長のヨハン・ラウレンティウス・バウシュ (Johann Laurentius Bausch)、ヨハン・ミヒャエル・フェール (Johann Michael Fehr)、ゲオルク・バルタザール・メッツガー(Georg Balthasar Metzger)、ゲオルク・バルタザール・ヴォールファールト(Georg Balthasar Wohlfarth) の4名である。

会は1670年に「Ephermeriden」と「Miscellanea Curiosa」の出版を開始した。前者は最も古い科学ジャーナルの一つであり、後者は医学植物学生理学など自然哲学に関連する分野に特に強く焦点を当てるものであった。

1677年神聖ローマ帝国レオポルト1世は会の活動を認め、1687年に会の名称を「レオポルディーナ」(Leopoldina)とした[2]

会は当初通信によって運営され、会長が仕事をしている場所が会の所在地であった。1878年までは固定の所在地はなく、1924年まで定例会議は開催されなかった[2]

1933年アドルフ・ヒトラーがドイツの首相になると、会はユダヤ人会員の除名を始めた。アルベルト・アインシュタインはその後1938年まで続く70名を超える除名者の最初の一人である。彼らの内の8名はナチスによって殺害された。

第二次世界大戦が終わると、ハレは東ドイツの都市となり、したがって会の建物もその一部となった。共産党政権は再三にわたって会の国有化を試みたが、会は抵抗を続け、ドイツ全体のための機関としてあり続けた。ドイツ再統一後の1991年、会は非営利団体として認可され、ドイツ政府ザクセン=アンハルト州政府が共同で出資を行った[2]

2007年11月、連邦教育・研究相のアンネッテ・シャーヴァンは、レオポルディーナの「国立科学アカデミー」(ドイツ語名:Nationale Akademie der Wissenschaften)への改名を発表し、「レオポルディーナはその国際的威信によって、ドイツを世界のアカデミーの中心にすることを運命づけられている。」と述べた。ドイツの科学アカデミーとして、イギリス王立協会アメリカ合衆国米国科学アカデミーと同様、機関としての非常に大きな権限と責任が付与されている。
活動Leopoldina

会はドイツにおいて最初で最高の学術機関であり、国内外の協力を通じ、伝統に従って科学を促進することを目的としている。中心的な任務は、現在の科学的および科学政策的な問題について政治や社会、経済界に助言することにある。ドイツ政府に対しては、例えば気候変動など様々な科学的事項についての提言を行っており、新型コロナウイルス流行の際は、厳しく実施した日常生活への制限をどのように緩和していくかに関して複数の報告を行い、それを基礎に政府が緩和策を講じている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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