フランク王国481-887
東フランク王国843-10C
神聖ローマ帝国962-1806
• ザクセン朝919-1024
• ザーリアー朝1024-1125
• ホーエンシュタウフェン朝1137-1254
• 大空位時代1254-1273
• 選挙王制1273-1438
• ハプスブルク朝1438-1806
東方植民12C-14C
• チュートン騎士団1198-
近世
宗教改革16C
三十年戦争1618-1648
プロイセン
• ブランデンブルク選帝侯領 1157-1806
• プロイセン公国 1525-1618/1701
• ブランデンブルク=プロイセン1618-1701
• プロイセン王国1701-1918
ドイツ統一
ライン同盟1806-1813
ドイツ連邦1815-1866
• 関税同盟1833-
• 1848年革命1848
北ドイツ連邦1867-1871
ドイツ国
帝政ドイツ1871-1918
ヴァイマル共和政1918-1933
• 国連管理地域ザール1920-1935
• 自由都市ダンツィヒ1920-1939
• ズデーテン地方
ナチス・ドイツ1933-1945
フレンスブルク政府1945
冷戦
連合国軍政期1945-1949
• 西側諸国占領地域
• フランス保護領ザール1947-1956
• ソ連占領地域
• 旧東部領土
• ドイツ人追放
西ドイツ1949-1989
• 西ベルリン
東ドイツ1949-1989
ドイツ再統一1989
再統一後のドイツ
関連項目
オーストリアの歴史
ドイツ ポータル
表 · 話 · 編
ドイツ王国(ドイツ語:Deutsches Reich)は、通常は9世紀から10世紀に現在のドイツを中心とする地域を支配した東フランクに成立し[1]、10世紀に成立する神聖ローマ帝国の中核となったドイツ人の王国を指す。ただし、中世や近世では公式にはこの言葉は用いられず、史料では単に「王国(regnum)」と呼ばれた[1]。また、ドイツで最も古くに「ドイツ王国(regnum Teutonicorum)」の語が用いられたのは、『ザルツブルク年代記(Annales iuvavenses)』においてであるが、実際にこの語が使われたのは11世紀以降と考えられている[2]。目次 東フランク王国からドイツ王国への形成は、東フランク王国がフランク人以外のアレマン人、バイエルン人、チューリンゲン人、ザクセン人、フリース人などの定住地まで次第に領域を拡げていく長期の過程の中で、多くの段階を経て進み、同時代人はほとんど意識していなかったと考えられている[3]。このため、ドイツ王国の成立時期に関しては、議論が分かれるところであり[4]、具体的に述べることは困難とされている[3]。
1 ドイツ王国の成立
2 脚注
3 参考文献
4 関連項目
ドイツ王国の成立