「ドイツ文学論」はこの項目へ転送されています。プロイセン王フリードリヒ2世(大王)の著作については「ドイツ文学論 (フリードリヒ大王)」をご覧ください。
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ドイツ文学(ドイツぶんがく)は、ドイツ語による文学のこと。またその作品や作家を対象とする学問領域も指す。ドイツ国内で書かれた文学のみではなく、オーストリア文学やスイス文学などドイツ以外のドイツ語圏の文学も含む。広義の文学には言語芸術以外の、文筆家としての創作行為も含まれる。すなわち歴史的記述、文学史、社会学・哲学的著作、もしくは日記や往復書簡などである。
時代区分の開始年・終了年を設定するのには常に困難が伴う。ここでの時代区分はできる限り早い時期から始まるよう定義されている。そのため、時代区分の相互の重なりについてよく確認することが望ましい。
中世(750年頃 - 1500年頃)ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ(大ハイデルベルク歌謡写本より)
最も古い古高ドイツ語(Althochdeutsch)は、8世紀の『メルゼブルクの呪文』に見ることができる。このゲルマン的なまじないの書は、ドイツ語圏で唯一残された、キリスト教化以前という意味で異教時代の文献でもある。他にこの時代の文献としては『ヒルデブラントの歌』が残されている。羊皮紙が高価だったこともあって、読み書きは主に修道院で教えられており、これら古高ドイツ語文学にはキリスト教の影響が大きい。このような例として、ヴァイセンブルクのオトフリートによる聖福音集や、1000年ころのザンクト・ガレンの修道士ノートカーによる古典の翻訳などを挙げることができる。
これら宗教文学に続いて世俗文学も徐々に成長を見せた。最初の宮廷叙事詩として『アレクサンダーの歌』と『ローラントの歌』(『ローランの歌』の翻訳)がある。抒情詩ではミンネザングと呼ばれる恋愛詩が発展し、ハインリヒ・フォン・モールンゲン、ハルトマン・フォン・アウエ、ラインマル・フォン・ハーゲナウ、ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ、ナイトハルト・フォン・ロイエンタールなどが活躍した。中世盛期の12、13世紀にはクレチアン・ド・トロワなどによるフランス文学を範として中高ドイツ語(Mittelhochdeutsch)による宮廷文学が隆盛を迎えた。