ドイツ国営鉄道
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この項目では、ヴァイマル共和政およびナチス・ドイツ時代に存在したドイツの国営鉄道について説明しています。

東ドイツの国営鉄道については「ドイツ国営鉄道 (東ドイツ)」をご覧ください。

西ドイツの国営鉄道については「ドイツ連邦鉄道」をご覧ください。

現在のドイツ最大の鉄道会社については「ドイツ鉄道」をご覧ください。

ドイツ帝国鉄道
Deutsche Reichsbahn
略称DR / DRG
設立1920年4月1日
解散

1949年軍政終了による分割)

9月7日西側ドイツ連邦鉄道へ)

10月7日東側後継組織へ再編)

種類公共企業体
法的地位ドイツ帝国鉄道に関する国家条約に因る
目的鉄道輸送
本部 ドイツ国
プロイセン自由州ベルリン
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ドイツ国営鉄道(ドイツこくえいてつどう、ドイツ語: Deutsche Reichsbahn, ドイチェ・ライヒスバーン)は、1919年に成立し、第二次世界大戦終戦までのドイツにおける国営鉄道である。この項ではドイツ帝国鉄道の名称を使用する。

第二次世界大戦後の1949年に、ドイツがドイツ連邦共和国西ドイツ)とドイツ民主共和国(東ドイツ)に分裂したことによって、西ドイツでドイツ連邦鉄道(DB)、東ドイツでドイツ国営鉄道(旧称を保持)に分割して継承されるまで存在した。
沿革

1871年普仏戦争によって手に入れたアルザス圏の鉄道をドイツ帝国が直轄の鉄道としたことをドイツ帝国鉄道の始まりとする。しかし、この路線は第一次世界大戦後、再びフランスに帰属することになる。

ビスマルクも各地域に分散する鉄道路線を帝国鉄道としての統括を試みたが実現せず、正式に帝国鉄道法が発効されたのは帝政崩壊後の1919年4月1日のことで、これを受けて、プロイセンバイエルンザクセン等の各地域にあった鉄道がドイツ帝国鉄道としての成立が実現する。
ドーズ案を受けての国有企業化

第一次世界大戦の講和条約であるヴェルサイユ条約で規定されたドイツの賠償方式を緩和するため、1924年ドーズ案により鉄道、国立銀行を連合国の管理下に置くことが提案された。このことを受け、新たに1924年8月30日にドイツ帝国鉄道法が制定されて社債の発行を可能にし、ドイツ鉄道は賠償金の代位弁済の役割を担うことになる。

順調に復興の兆しが見えてきた中で国有鉄道はその規模を拡大し、1935年には路線距離の総計を68,728kmまで拡大した。また、1930年代には05形機関車フリーゲンダー・ハンブルガー等、技術的水準が非常に高い車輌の建造にも成功した。
第二次世界大戦へ

1931年ローザンヌ会議でこの鉄道会社は賠償金の支払義務を免除され、1937年2月には新たに制定された法の下で再び国有のドイツ帝国鉄道となる。そして、ナチス・ドイツの近隣国への侵攻に併せて侵攻国の鉄道路線と事業体を吸収し、更にその規模を拡大した。また、ユダヤ人を収容所へ運ぶ役割を担い始めた。
戦後ソ連占領地域でのドイツ国営鉄道の車両。略称DRの下にUSSR-Zone(ソ連占領地域)と記されている。

終戦後、英仏米占領地域は1947年に“連合経済地域における帝国鉄道”として統括され、1949年9月7日、西ドイツの樹立に向けてドイツ連邦鉄道として発足する。

ソ連側の占領地域ではかつての名称を継承し、東ドイツの樹立後も東西ドイツ統一後の1993年まで「Deutsche Reichsbahn」の名を広域鉄道事業体に冠した。
関連項目

ドイツの鉄道史

ドイツ連邦鉄道

ドイツ国営鉄道 (東ドイツ)

参考文献

ゲラ・モンド社刊 BAHN EXTRA 2007年第04号: 特集:帝国鉄道の時代 (ドイツ語)


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