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ドイツ連邦共和国の国章
詳細
使用者 ドイツ連邦共和国
採用1950年1月20日
盾Or, an eagle displayed sable armed beaked and langued gules
ドイツの国章(ドイツのこくしょう ドイツ語: Bundeswappen Deutschlands)は、金色のフィールドに黒い鷲(アドラー)をモチーフにしている。現在のドイツ連邦共和国の国章が定められたのは、1950年である。 鷲は大型の鳥類として食物連鎖の頂点に立っていることから、ヨーロッパでは古来より、勇猛果敢さと力、無敵の象徴とされ、多くの権力者に好まれてきた。その意匠は、すでに8世紀半ばのカール大帝の頃から用いられ、13世紀初頭には「金地に黒鷲」の紋章が神聖ローマ帝国皇帝の紋章とされるようになった。1433年、「双頭の鷲」の紋章が神聖ローマ帝国の紋章と定められた。15世紀半ばには、歴代皇帝の紋章に鷲が用いられるようになった。その後、双頭の鷲の紋章は、オーストリアの王家であるハプスブルク家の紋章に引き継がれた。 1848年、フランクフルト国民議会は、皇帝のシンボル(剣、宝珠、笏、王冠)を除いた「双頭の鷲」を引き続き新しい国章として用いることを決議した。
歴史上のドイツ国章