トーン・クラスター
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トーン・クラスター(: tone cluster)は、ある音名から別の音名までの全ての音を同時に発する房状和音のことを指す。アメリカの作曲家ヘンリー・カウエルが用いた概念で、カウエルは当時「クラスターは2度の和音の集合」と捉えていた。 ヘンリー・カウエルの楽譜におけるピアノのトーン・クラスターの例  Play[ヘルプ/ファイル]目次

1 黎明期

2 第二次世界大戦以前

3 第二次世界大戦以後

3.1 オルガン

3.2 ピアノ

3.3 オーケストラ

3.4 合唱


4 関連項目

黎明期

ジョスカン・デ・プレなどルネサンス音楽の一部は、数十声部における重厚なポリフォニーを駆使し、それらの曲では各声部全体がほとんど巨大な一つの塊となって聞こえる。これはジェルジ・リゲティが提唱したミクロ・ポリフォニーの概念を既に備えているといえる。

ジャン=フェリ・ルベルの「四大元素」は、教会旋法の全ての音を楽器で全合奏するという、トーン・クラスターに極めて近い音響を冒頭で用いる。モードによるクラスターは現代の作曲家ではアルヴォ・ペルトペトリス・ヴァスクス、クヌート・ニーステッドなどバルト三国北欧の作曲家、また吉松隆北爪道夫などが多用している。

また、既に18世紀には、ハープシコードの鍵盤を全て押さえる指示が見られる(ミシェル・コレットのハープシコードと朗読のための「海戦の勝利」など)が、効果音以上の発展には至っていない。

19世紀にはシャルル=ヴァランタン・アルカンが「打ち上げ花火 序奏と即興」作品55の終結部において、低音のトーンクラスター(G・A・B♭・C♯・D・E・F・G)を用いている。
第二次世界大戦以前

カウエルはまず、手のひらや肘でピアノの数多くの鍵盤を押さえる実験から開始し、その結果は数多くのピアノソロ作品に現れている。それと期を同じくして、チャールズ・アイヴズピアノソナタ第2番の第2楽章で「数十センチのものさし状の板」を用いて、肘では押えきれないほどの黒鍵や白鍵を同時に押さえる技法を用いている。これら2例が、トーン・クラスターの黎明期の重要な作品とみなされている。

「ヘンリー・カウエル ピアノ曲集」には「マヌナーンの潮流」でトーン・クラスターを1912年に15歳で発案したと発表し、最近までこの説は広く信じられていた。近年カウエルの全作品目録を製作した研究者により、この作品は1917年に劇付随音楽(もしくはオペラ)として書かれた作品の第1曲であったことが判明した。トーン・クラスターの世界初の発案者になるために、アイヴズに「世界初が誰か」を相談していたというものである。アイヴズ自身も自作曲のミス・リードを行う癖があったことも災いして、「カウエルがトーン・クラスターの発案者として世界を駆け巡ること」をアイヴズに約束した。

こうして、カウエルは戦前から世界中でトーン・クラスターの講義を行っており、アルバン・ベルクの「ルル」、バルトークの「ピアノ協奏曲第2番」、イワン・ヴィシネグラツキーの「24の前奏曲」、ジャチント・シェルシの「ピアノソナタ第3番」などの作品にトーン・クラスターの使用が認められるのは、全てカウエル経由の影響によるものである。出版されたカウエルの「虎」に英語、ロシア語、ドイツ語で注釈が加えられているのは、講義を行った国々を示す証拠でもある。

アイヴズはその後、トーン・クラスターをオーケストラで鳴らすことを欲し、「独立記念日」ではカウエルの指導通り「2度の和音の集合」といった記譜法で弦楽パートを全て埋め尽くしており、街中の騒音を描写したような特異な音響を生み出すことに成功した。

以上の戦前までのトーン・クラスターは、ほぼ単発的な効果音としての使用に限られており、カウエル本人もこのような使用方法しか思いついていなかった。
第二次世界大戦以後
オルガン

戦後、カウエルやアイヴズの発案したトーン・クラスターについて、ダルムシュタットにおいて様々な議論が戦わされることとなった。その最初の問題作が、マウリシオ・カーゲルが作曲したオルガン独奏のための「追加された即興」、ジェルジ・リゲティが作曲した「ヴォルーミナ」である。

カーゲル作品では、通常のオルガン奏者のほかに2人の音栓助手が必要である。何が話題になったのかというと、オルガンから生まれるトーン・クラスターのタイプを詳細に分析した最初の作品であると同時に、音栓助手はオルガニストの手の動きとは無関係にすばやい速度でストップのオンオフをランダムに行う点が、当時のオルガン音楽の常識を超える新技術とみなされた。ジョン・ゾーンはこの作品を聴いて、作曲家になることを決意したといわれる。リゲティは既にマイクロ・ポリフォニーの探求の延長線上でトーン・クラスターを生むことに成功したが、彼もまたオルガンに興味を示した時期がある。その代表作が「ヴォルーミナ」で、全編図形楽譜からなるこの作品は、ほとんどがクラスターで構成された作品である。「オルガンが壊れる」というほどの音像を示す瞬間もある。事実、初演の際の練習ではオルガンの電気系統の一部がショートし、煙が吹いたという逸話もある。

現在でもこれほどのオルガン音楽は珍しく、「現代オルガン音楽」はこの2作品で終わったと言い伝えられるほど、両者のインパクトは強かった。
ピアノ

既に戦前から可能性が追求されていたピアノのクラスターは、「ほぼクラスターのみで語る」作品の可能性が追求されることとなった。典型例はジャチント・シェルシの「アクション・ミュージック」であり、クラスターが単なる効果音に留まってはいない。カールハインツ・シュトックハウゼンの「ピアノ曲第10番」は、指先のない手袋をはめたピアニストのための作品で、クラスターのグリッサンドや肘などのクラスターの音響的インパクトが大変に華麗で、1960年代に書かれたピアノ作品の傑作と伝えられている。アンソニー・ブラクストンの「コンポジション第32番」は全曲がクラスターで構成された確定作品である。一柳慧の「ピアノ曲第6番」はインストラクションのみで、クラスターとグリッサンドに素材を限定した不確定作品を作曲した。

前衛の時代から遠く離れて、サルヴァトーレ・シャリーノの「ピアノソナタ第4番」では、「クラスターと装飾音」のみで全曲を構成する奇異なピアノ曲を発表した。この作品では「片手のみで鍵盤の全音域を瞬時に往復する」極めて困難な技術が用いられるために、演奏頻度が稀少である。モーリッツ・エッゲルトの「ヘマークラフィーア第3番 ワンマンバンド」では、左足でピアノの低音域クラスターを奏する指示があり、右手と左手と左足の3声のテクスチュアが織り成される箇所が印象的である。
オーケストラ


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