トーントン_(マサチューセッツ州)
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トーントン

Taunton
トーントン緑地の戦争記念碑




愛称: 銀のまち (The Silver City)
クリスマスのまち (The Christmas City)
ブリストル郡内の位置(赤)
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯41度54分00秒 西経71度05分25秒 / 北緯41.90000度 西経71.09028度 / 41.90000; -71.09028座標: 北緯41度54分00秒 西経71度05分25秒 / 北緯41.90000度 西経71.09028度 / 41.90000; -71.09028
アメリカ合衆国
マサチューセッツ州
ブリストル郡
建設1637年
町制施行1639年
市制施行1864年
政府
 ? 種別二元代表制
 ? 市長トマス・ホイ・ジュニア
面積
 ? 合計48.0 mi2 (124.2 km2)
 ? 陸地46.6 mi2 (120.7 km2)
 ? 水域1.4 mi2 (3.5 km2)
標高30 ft (9 m)
人口(2020年)[1]
 ? 合計59,408人
 ? 密度1,200人/mi2 (480人/km2)
 住民の呼称 : トーントニアン
等時帯UTC-5 (東部標準時)
 ? 夏時間UTC-4 (東部夏時間)
ZIPコード02718、02780、02783
市外局番508、774
FIPSコード25-69170
地名情報システムID0613154
ウェブサイト ⇒www.taunton-ma.gov
ウィアービレッジを流れるトーントン川。このF・B・ロジャーズの工場は後に解体された

トーントン(: Taunton)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州にある都市。ブリストル郡郡庁所在地である。人口は5万9408人(2020年)。ボストンの南64km、ロードアイランド州プロビデンスの東29km、フォールリバーの北16km、プリマスの西40kmに位置する。市内を蛇行して流れるトーントン川を16kmほど下ればマウントホープ湾に出る。工場が多く立地することから「工場町」といわれる。

1637年にプリマス植民地によって建設された、アメリカ最初期の町のひとつ。白人の到来以前、ネイティブ・アメリカンはこの地をコハネット (Cohannet) と呼んだ。19世紀初頭以来、リード・アンド・バートン、F・B・ロジャーズ、プール・シルバーなどが高品質の銀製品を産したことで「銀のまち」としても知られる。

1914年から、毎年12月に市がトーントン緑地で大規模なライトアップを行うようになったため、「クリスマスのまち」ともあだ名された。

かつて、トーントンは近隣のノートン、イーストン、マンスフィールド、ダイトン、レイナム、バークリーなどの町々を内包していた。いまもアソネットのトーントン・ヒルにその名残が見られる。
歴史

イングランドの開拓団が建設し、1639年9月3日に町制が施行された。地名は入植者の大半がサマセットのトーントンの出であったことにちなむ。1640年まで、この辺りはコハネット (Cohannet) と呼ばれていた。

トーントンの地はイギリスの開拓者らがネイティブ・アメリカンワンパノアグから獲得したものである。フィリップ王戦争独立戦争では幾度か戦場になった。1864年5月11日に市制施行された。

19世紀になるとリード・アンド・バートンやF・B・ロジャーズ、プール・シルバーなど、多くの銀細工工房が出現し「銀のまち」として知られ始めた。辺りの沼沢から採れる泥鉄鉱を利用した製鉄も栄えた。鉄からはストーブ(ウィアー・ストーブ商会/グレンウッド)、鋲(フィールド・タック商会)、機械類がつくられた。この時代に成功した会社にウィリアム・メイソンが立ち上げ、織機から蒸気機関車まで幅広く手がけたメイソン機械製作所がある。1849年には市内でトーントン蒸気機関製作所が創業した。

軽工業では繊維工場がいくつか興ったほか、フェルト製品やれんがを産した。

また同時期、トーントンは内陸部の農村の穀物をトーントン川の水運に委ねる積み出し港になった。鉄道の出現もトーントンをその地勢から交通の要衝に押し上げた。

1897年、市は低迷していたトーントン・エレクトリック・ライティング・カンパニーを買収して公営の電気事業体、トーントン市電力プラント (TMLP) を設立した。同プラントは現在トーントン、バークリー、レイナムの全域とダイトン、レイクビル、ブリッジウォーターの各一部に3万4000の顧客を持つ。経営は市民から選出される行政委員会の3委員が執り行う。

市街北方のマイルズ・スタンディッシュ工業団地は、国立気象局が地域天気予報事務局を設けるほか、大企業も何社か進出している。

2005年10月には市街で一週間に約230ミリの大雨が降り、郊外のホイッテントン・ポンド・ダムの決壊が危ぶまれた。2000人以上の市民が避難し[2]、当時のロバート・ヌネス市長は非常事態宣言を発令。ダムが決壊した場合、ミル川の氾濫でダウンタウンが2メートル浸水するとの試算が出された。これをうけて、州のミット・ロムニー知事(当時)はワシントンD.C.に危険性の高い全米のダムの即時調査を要請した[3][4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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