トーマス・A・ヘンドリックス
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トーマス・アンドリュース・ヘンドリックス
Thomas Andrews Hendricks


アメリカ合衆国
21代 副大統領
任期1885年3月4日1885年11月25日

出生1819年9月7日
オハイオ州ゼインズビル近郊
死去1885年11月25日
インディアナ州インディアナポリス
政党民主党

トマス・アンドリュース・ヘンドリックス(Thomas Andrews Hendricks, 1819年9月7日 - 1885年11月25日)は、アメリカ合衆国の政治家。インディアナ州選出の下院および上院議員、第21代アメリカ合衆国副大統領

ヘンドリックスはオハイオ州ゼインズビル近郊の村で生まれ、1820年に両親と共にインディアナ州へ転居した。彼は1841年にハノーヴァー大学を卒業し、1843年に法曹界入りして、インディアナ州シェルビーヴィルの中で弁護士業を始めた。1848年には州議会議員、州憲法制定会議のメンバーであった。また民主党から第32と第33議会(1851年3月4日 - 1855年3月3日)に選出された。1854年の選挙では落選した。彼は旅費委員会および無効年金委員会の議長であった。

ヘンドリックスは1855年から1859年まで一般国有地管理局の委員を務め、1860年にインディアナ州知事選に出馬するが落選した。彼は1860年にインディアナポリスへ転居し、弁護士業を始めた。その後、上院議員に選出され、1863年3月4日から1869年3月3日まで同職を務めた。彼は1872年にインディアナ州知事に選出され、1873年から1877年まで同職を務めた。

1872年の大統領選挙では民主党の大統領候補ホレス・グリーリーが一般投票の数日後に死去したため、ヘンドリックスはグリーリーへ投票を行った42の選挙人団の投票を獲得した。ヘンドリックスは、1876年の大統領選挙サミュエル・ティルデンの伴走候補者として出馬したが落選した。1884年の大統領選挙ではグロバー・クリーブランドの伴走候補者として当選し、前任副大統領チェスター・A・アーサーが1881年に大統領に昇格以来空席だった副大統領職に着任した。ヘンドリックスは1885年3月4日から数カ月後にインディアナポリスで死去するまで同職を務めた。彼はクラウン・ヒル墓地に埋葬された。彼の死で、副大統領の地位は1888年にレヴィ・P・モートンが当選するまで空席となった。
外部リンク

Biography and portrait from the Indiana Historical Bureau











アメリカ合衆国副大統領
※ 名前の後ろの年号は就任年を表す


アダムズ 1789年

ジェファーソン 1797年

バー 1801年

クリントン 1805年

ゲリー 1813年

トンプキンズ 1817年

カルフーン 1825年

ヴァン・ビューレン 1833年

R・ジョンソン 1837年

タイラー 1841年

ダラス 1845年

フィルモア 1849年

キング 1853年

ブレッキンリッジ 1857年

ハムリン 1861年

A・ジョンソン 1865年

コルファクス 1869年

ウィルソン 1873年

ウィーラー 1877年

アーサー 1881年

ヘンドリックス 1885年

モートン 1889年

スティーブンソン 1893年

ホーバート 1897年

ルーズベルト 1901年

フェアバンクス 1905年

シャーマン 1909年

マーシャル 1913年

クーリッジ 1921年

ドーズ 1925年

カーティス 1929年

ガーナー 1933年

ウォレス 1941年

トルーマン 1945年

バークリー 1949年

ニクソン 1953年

L・ジョンソン 1961年

ハンフリー 1965年

アグニュー 1969年

フォード 1973年連邦議会による承認


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