トーマス・マコーリー
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イギリス政治家初代マコーリー男爵
トーマス・マコーリーThomas Macaulay, 1st Baron Macaulay
1860年代
生年月日1800年10月25日
出生地 グレートブリテン王国イングランドレスターシャー・ロスリー(英語版)
没年月日 (1859-12-28) 1859年12月28日(59歳没)
死没地 イギリス・イングランド・ロンドン
出身校ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ
所属政党ホイッグ党
称号初代マコーリー男爵、王立協会フェロー(FRS)、エディンバラ王立協会フェロー(英語版)(FRSE)、枢密顧問官(PC)
サイン
戦時大臣
内閣第二次メルバーン子爵内閣
在任期間1839年9月27日 - 1841年8月30日
陸軍主計長官(英語版)
内閣第一次ラッセル内閣
在任期間1846年7月7日 - 1848年5月8日
庶民院議員
選挙区カーン選挙区(英語版)
リーズ選挙区(英語版)
エディンバラ選挙区(英語版)
エディンバラ選挙区
在任期間1830年2月15日 - 1832年12月10日
1832年12月10日 - 1834年
1839年6月4日 - 1847年7月29日
1852年7月7日 - 1856年[1]
貴族院議員
在任期間1857年 - 1859年[1]
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初代マコーリー男爵トーマス・バビントン・マコーリー(英語: Thomas Babington [or Babbington] Macaulay, 1st Baron Macaulay, FRS, FRSE, PC1800年10月25日 - 1859年12月28日)は、イギリス歴史家、詩人、政治家。エディンバラ選出のホイッグ党下院議員だった。ホイッグ史観(現在の視点から過去を判断する態度)を代表する人物であり、マコーリー著『イングランド史』は、今日でもイギリスで最も有名な歴史書のひとつである。
時代背景坑道で石炭をひく少女。19世紀中頃、このような児童労働の実態が議会でも採り上げられ問題となった

イギリスの19世紀は繁栄の世紀だった。鉄道が国中にはりめぐらされ、港には世界中から品物が届き、富をたくわえた商人たちの間では、貴族風の生活が流行した。19世紀後半のことだが、貧しい労働者でも茶を飲めた[2]のは当時イギリスだけである。ヨーロッパ中が革命の災禍で流血をみるなか、イギリスだけは植民地争奪戦に勝ち抜き、世界帝国をうち立てていた。世にいうヴィクトリア朝時代である。しかしこのことは、末端の民衆が幸せだったことを意味しない。

工場では労働者が必要になり、地方から都市に多くの人びとが移り住んだ。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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