トーマス・ナスト
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トーマス・ナスト
ナポレオン・サロニーによりニューヨークユニオンスクエアで撮られた写真
生誕 (1840-09-27) 1840年9月27日
ドイツ連邦バイエルン王国プファルツ地方ランダウ(現在のラインラント=プファルツ州
死没1902年12月7日(1902-12-07)(62歳)
エクアドルグアヤキル
署名

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トーマス・ナスト(Thomas Nast、1840年9月27日 - 1902年12月7日)はドイツ系アメリカ人風刺画家、政治漫画家で、「アメリカ漫画の父」とされる人物である[1]民主党下院議員ウィリアム・ツイードやタマニー・ホールなど民主党の集票組織(「マシーン」)は彼の風刺画に悩まされた。ナストが創作したことで有名なのは、現代的なサンタクロース像(ドイツの伝統的なサンタクロース像であるミラのニコラオスやヴァイナハツマンをベースにしている)や共和党の政治シンボルであるゾウなどである。俗説に反して、アンクル・サムコロンビア民主党のロバは彼が生み出したわけではない[2]。とはいえ、これらのシンボルはナストの作品を通じて普及したことに違いはない。1859年から1860年、1862年から1886年に雑誌ハーパーズ・ウィークリーに携わった。

アルバート・ボイムはこう言っている。政治漫画家として、トーマス・ナストは19世紀のどの画家よりも大きな影響力を持っていた。大胆さとウィットで多くの読者の心を奪っただけでなく、視覚に訴える力強いイマジネーションでもってそれを見るものの心を繰り返し自分の政治的立場のほうへ揺さぶった。リンカーンとグラントは彼を味方につけたときの影響力をわかっていたし、市政を救う改革者としてニューヨーク市から何百ドルもだまし取った汚職政治家ツイードの一味を破滅させるのにも貢献した。いやまったく、アメリカの一般社会に与える彼の影響力は恐ろしいほど大きかった。1864年から1884年に行われた大統領選挙においてその結果に常に深い影響を及ぼすほどでほどであった[3]
生い立ちと教育

ドイツ、ランダウ(現在のラインラント=プファルツ州)でアポロニア・アブリス とヨーゼフ・トマス・ナストの夫婦の末っ子として生まれた[4]。彼にはアンディーという姉がいたほか、2人の兄がいたがナストが生まれる前に亡くなっている。バイエルンの第9連隊吹奏楽団のトロンボーン奏者である父親は、バイエルン政府とは相容れないという政治的信念を持っていた。そのため1846年にナストの父はランダウを離れ、フランスの軍艦やアメリカの船の乗組員となった[5]。父は妻と子どもをニューヨークに送り、1850年の終わりには家族に合流した[6]

ナストは6歳から14歳までニューヨークの学校に通った。学業は苦手だったが、絵を描くことへの情熱は幼いころからわかりやすいほどだった。1854年、アルフレッド・フレデリックスとセオドア・カウフマンのもとで1年間勉強し、その後ナショナル・アカデミー・オブ・デザインに入学した[7][8]。1856年、フランク・レスリーのイラスト入り新聞でドラフトマンとして働き始めた[9]。彼の絵は1859年3月19日のハーパーズ・ウィークリーに初めて掲載された[10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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