トーマス・ドルビー
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トーマス・ドルビー
Thomas Dolby
Dolby at TED conference 2009
基本情報
出生名Thomas Morgan Robertson
生誕 (1958-10-14) 1958年10月14日(60歳)
出身地 イングランド ロンドン
ジャンルニュー・ウェイヴ
ポップ・ミュージック
ロック
職業プロデューサー
ミュージシャン
シンガーソング・ライター
担当楽器キーボード
シンセサイザー
ギター
ボーカル
活動期間1981年?
レーベルArmageddon
Venice In Peril
EMI
キャピトル・レコーズ
ヴァージン・レコーズ
Invisible Hands Music
共同作業者プリファブ・スプラウト
公式サイト ⇒www.thomasdolby.com
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トーマス・ドルビー(Thomas Dolby、1958年10月14日 - )は、 イギリス ロンドン出身のミュージシャン音楽プロデューサー、および発明家
目次

1 家族

2 ステージ・ネーム

3 来歴

4 2006年以降

5 その他

6 ディスコグラフィ

6.1 アルバム

6.2 コンピレーションズ

6.3 EP

6.4 サウンドトラックス

6.5 シングル


7 関連人物

8 外部リンク

家族

トーマスの父親、マーティン・ロバートソン(en)は国際的にも名の通った古代ギリシャに関する芸術と考古学の教授職に就いていて、ロンドン大学オックスフォード大学で教鞭をとっていた。そのため青年時代にはギリシャとフランスに住んで、働いていた時期がある。トーマスは1988年に元女優のキャスリーン・ベラー (Kathleen Beller) と結婚している。
ステージ・ネーム

トーマスがロバートソンではなくドルビーと名乗っているステージネームの由来は、ノイズ・リダクション・システムやサラウンド・サウンド・エンコーディング・システムなどを設計開発している企業の「ドルビー・ラボラトリーズ」から採られていると言われていて、友達からもらったカセット・テープに印刷されていて、カセット・デッキにもその名が付いていたためだと言われている。1980年代半ばにはドルビー社から名称の使用差し止めに関して起訴されたが、最終的には示談で解決しステージ・ネームとしての使用は継続されている。
来歴

トーマスはニュー・ウェイヴとポップ、楽器ではシンセサイザーなどの電子楽器類を得意とするミュージシャンだが、幅広い音楽ジャンルにも対応している。彼が作り出した音楽の中でヒットした作品の中にはアルバム『光と物体 (The Golden Age of Wireless)』に収録されていて、サンプリング音源を多用し、ビルボード・ホット100で最高位5位を記録した「彼女はサイエンス (She Blinded Me With Science) 」や、『ハイパーアクティブ (Hyperactive!)』『フィールド・ワーク』(坂本龍一と共作)などがある。

初期のキャリアは、キーボード・プレイヤーとしてブルース・ウーリー (Bruce Woolley) ・アンド・ザ・カメラ・クラブとの活動、及び彼らのデビュー・アルバムにクレジットされた事から始まっていて、『イングリッシュ・ガーデン』というアルバムのインストゥルメンタル曲「WW9」ではサンプリング・サウンドを初めて使っている。そしてトンプソン・ツインズのアルバム『Set』では何音色かのシンセサイザー奏者としても参加している。また、リーナ・ラヴィッチ (Lene Lovich) のヒット曲「New Toy」への参加や、Whodini の「Magic's Wand」では共作、The Fallout Club へのキーボーディストとして参加などがある。1983年にもデフ・レパードのアルバム『Pyromania』でBooker T. Boffinという別名にてキーボード・プレイヤーとして参加している。

彼のキャリアの中で最も重要なものには、フォリナーの1981年リリース・アルバム『4』に収録されている「Urgent」でのシンセサイザー奏者としての参加と、同アルバム収録の大ヒット曲「ガール・ライク・ユー」のイントロで聴く事が出来る環境系サウンドのシンセサイザーの使い方などがある。そして、このアルバム・レコーディングとツアーへの参加で受け取った報酬を使い、1980年代のベンチマーク・アルバム『光と物体 (The Golden Age of Wireless)』が制作され、ソロとしてのキャリアがスタートしている。

1985年のグラミー賞授賞式ではスティーヴィー・ワンダーハービー・ハンコックハワード・ジョーンズと共演し、1980年代半ばに活躍したミュージシャンの中でもシンセサイザーを駆使したサウンド作りが得意な4名が同じステージに立つという珍しいシーンが見られた。国際的なイベントとなったコンサート、ライブ・エイドへは、デヴィッド・ボウイのバンド・メンバーとして参加、ジョニ・ミッチェルのアルバム『Dog Eat Dog』ではコ・プロデューサーとして参加、プリファブ・スプラウトのアルバム『スティーヴ・マックイーン (Steve McQueen)』ではプロデューサーとして参加している。プリファブ・スプラウトのアルバムでは1988年の『ラングレー・パークからの挨拶状 (From Langley Park to Memphis)』では数曲、1990年のアルバム『ヨルダン:ザ・カムバック (Jordan: The Comeback)』では全面的にプロデューサーとして参加している。

1980年代終わりから1990年代初頭に掛けてはライブ・パフォーマンスを中心に活動していて、1988年6月18日にローズ・ボウルで行われたデペッシュ・モードのコンサート『Rose Bowl concert』へのサポートや、1990年にベルリンで行われたチャリティー・コンサートでは、ロジャー・ウォーターズのロック・オペラ「The Wall」ではシンディ・ローパーが歌で参加した「Another Brick in the Wall (Part 2)」への参加などがある。
2006年以降 Thomas Dolby, Boulder Colorado 2006

インターネット関連事業へ進出していたため、しばらくの間音楽界から遠ざかっていたトーマスは2006年に復帰して、2006年1月21日には初めての単独公演を「25周年記念」として、サンフランシスコの「Red Devil Lounge」で行ない、4月12日からはアメリカ・ツアー「Sole Inhabitant Tour 2006」を行い、このツアーはCDとDVD用に収録された。CDの方はシカゴで行われた「Dolby at Martyrs」でのギグが収録されていて、DVDの方は Berklee College of Music の Berklee Performance Center が収録され、CDとDVDは2006年11月にリリースされ、流通は CD Baby と iTunes で行われた。2007年には、イギリス国内でも「Sole Inhabitant Tour」を行い、アメリカ・ツアーでは演奏されなかった新曲が3曲追加された。

2009年5月18日にはデジタル・リマスタリングされたCDとDVDのセット『The Singular Thomas Dolby』がEMIからリリースされた。CDには未発表曲も収録され、DVDの方にはビデオ・クリップが収録され、以前VHS、Beta、レーザー・ディスクなどでメディアで発売されていた『The Golden Age Of Video』が収められている。
その他

1993年には Headspace社 を設立し成功を収めていて、この会社ではインターネットでのダウンロード向けファイル・フォーマットとしてのデザインされた Rich Music Format を RMF として開発していた。このフォーマットは、MIDI フォーマットのように小さなファイルサイズの中に、高ビットレートで音声を収録する為のもので、無料のプラグイン「Beatnik Player」をブラウザーにインストールしてRMFを試聴可能にする事が出来た。RMFの後のバージョンでは、アーティスト側がウォーターマーク(隠し認識票)を記す事が出来るようになっていて、オーソライズ(認証)されていないファイルは複製できないように出来た。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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