トーマス・"トミー・ライアン"・エボリ (Thomas "Tommy Ryan" Eboli 1911年6月11日?1972年7月16日)とは、ニューヨークのマフィア、ジェノヴェーゼ・ファミリーの代理ボス(acting boss)だった人物である。本名トンマーゾ・エボリ(Tommaso Eboli)。ニックネームはトミー・ライアン。 イタリアのナポリ近郊シシャーノ(Scisciano)生まれ[1]。家族と共に渡米しニューヨーク・マンハッタンのトンプソン・ストリート沿い(グリニッジ・ヴィレッジ)に定住した。ナポリ系移民街で育った[1]。若い頃は、1920年代よりグリニッジ・ヴィレッジの非合法賭博グループを率いたヴィト・ジェノヴェーゼの配下で、賭場の管理や用心棒をやっていた。 1930年代初め、ヴィト・ジェノヴェーゼと共に、ラッキー・ルチアーノの勢力に加わった。1931年ルチアーノが旧世代マフィアを葬って他のシチリア系マフィアと五大ファミリーの形を整えると、ジェノヴェーゼの部下としてルチアーノ一家に所属した。1933年5月、賭場のがさ入れで逮捕されたが、即釈放された[2]。その後1936年、1938年、1942年に捕まるが、有罪は免れた[1]。 1940年代、ボクシング興行に進出し、数人のボクサーのマネージャーを務めた。1952年1月11日、マディソン・スクエア・ガーデンで行われたボクシング試合で自陣のボクサー(ロッキー・カステラーニ)に不利な判定をしたレフリーに襲いかかって60日の禁固刑を受け、ボクシング界から追放された[2]。弟のパット(パッツィー・ライアン)と共にしばしばイタリアに飛んでは、ラッキー・ルチアーノ(1946年イタリア強制送還)と接触し、アメリカのコーサ・ノストラ側との連絡役を務めた。ルチアーノはジェノベーゼと親しいという理由でトミーを嫌っていたが、パットは気に入っていたという[2]。 グリニッジ・ヴィレッジのナイトクラブを拠点にブックメーキング、酒類販売、レストラン業、ゲイ・バー、ジュークボックスなどで財を築き、レコード会社の経営にたかった[2]。1950年代、ヴィト・ジェノヴェーゼの弟マイケルとタバコの自販機ビジネスに参入し、ベーカリーチェーン(ベーグル)を支配した[1][3]。金持ちになると、マンハッタン島対岸のニュージャージー州フォートリーの高層マンションに移り住んだ。フォートリーにはアルバート・アナスタシア、ジョー・アドニス、アンソニー・"トニー・ベンダー"・ストロッロらコーサ・ノストラのVIPが居を構えていた[4]。 1950年代後半、ヴィト・ジェノヴェーゼが一家の実権を握ると、カポレジーム(幹部)になった。1957年5月のフランク・コステロ暗殺計画に参加していたとされる。1959年、ジェノヴェーゼは麻薬密売 ボス代行時代はファミリーの結束を図ることもなく、実質的に副ボスのカテナにファミリー問題を任せていたとされ、人望が薄かった。エボリ配下のジュークボックスメーカーを調査していたFBIエージェントを逆「指名手配」する紙を配布してFBIの逆鱗に触れ、ジェノヴェーゼ一家への風当たりが厳しくなった原因とみなされて身内マフィアの信用が落ちたともいわれた[5]。 1966年9月22日、クイーンズのレストランLa Stella で行われたコミッションの会議が警察の手入れにあい、カルロ・ガンビーノ、アニエロ・デラクローチェ、マイク・ミランダ、ジョゼフ・コロンボ、サント・トラフィカンテJrその他ニューオリンズファミリーの面々(カルロス・マルセロ、フランク・ガリアーノら)と共に摘発された[6][7]。
来歴
用心棒稼業
ルチアーノ一家
代理ボス