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トンプソン・サブマシンガン
トンプソン M1928
種類短機関銃
原開発国 アメリカ合衆国
運用史
配備期間1938年-1971年
(アメリカ陸軍)
配備先米国はじめ各国
関連戦争・紛争
アイルランド独立戦争
アイルランド内戦
バナナ戦争
日中戦争
第二次世界大戦[1]
朝鮮戦争[1]
国共内戦
第一次中東戦争
第一次インドシナ戦争
ベトナム戦争[1]
ボスニア紛争
開発史
開発者ジョン・T・トンプソン
開発期間1917年-1920年
製造業者Auto-Ordnance Company
トンプソン・サブマシンガン(Thompson submachine gun)は、アメリカ合衆国で開発された短機関銃である。トムソン銃、シカゴ・タイプライターといった通称を持つことで知られるが、本項ではトミーガンに統一して表記する。「サブマシンガン」という言葉を初めて用いた製品としても知られる。
トミーガンは、禁酒法時代のアメリカ合衆国内において警察とギャングの双方に用いられたことで有名になった。1919年から累計170万丁以上が生産され、今日でも民生用モデルの製造が続けられている。頑丈な構造を持ち、耐久性と信頼性に優れ、5kg近い重量のおかげでフルオート射撃を制御しやすい特性から、世界各国で広く用いられた。
構造[ソースを編集]
トミーガンを特徴付けているのは、主要部品の多くが角を丸めた直角で構成されている点で、円形を基本に構成される事が多かった欧州の製品とは一線を画したデザインとなっている。これはトミーガンは鋼鉄ブロックからの切削加工で製造され、切削作業の大部分が平フライス加工だけで行えるよう考慮したためである。この結果、大規模な専用生産施設を持たなくても、外注工場の利用が容易で効率よく製作できるメリットがあり、中国やベトナムなど工業水準の低い諸国でも容易にコピー生産が可能となった。
トミーガンは上下2つのレシーバ(機関部)によって構成されており、銃身は上部レシーバ先端にネジで固定され、弾倉が接触する部分はドラム型弾倉を装着するため大きく切り欠かれた形状となっているほか、内部はフライス加工によって大きくえぐられ、この空洞内をボルトが前後する。
弾倉は上部まで露出しているため、野戦では泥などが付着しやすいが、逆に拭い去る事も簡単な構造となっている。箱型弾倉を装填する際には下側から、ドラム型弾倉を装填する際には横からスライドさせて装着し、どちらもレール溝によって支持されている。M1/M1A1(後述)では横溝が省略されてドラム型弾倉が使用できないが、上部レシーバの切り欠きはそのままなので、後から横溝を刻むだけで使用できるようになる。ドラム型弾倉については、ボルトが前進した状態だとボルトの前半部分と干渉して装填できない。そこで装填に先立ってボルトを後退させ、装填中の誤射を防ぐためにセーフティー(安全装置)を安全位置にしておく必要がある。最終弾を発射すると後退したボルトがシア(逆鉤)によって固定される。
下部レシーバは複雑な形状ながら、機能的には上部レシーバの下部を塞ぎ、トリガーメカを保持するだけの単純な構造である。上下のレシーバはレール溝によって嵌合し、分解する際に上部レシーバ後端にあるストッパを押し込んで下部レシーバを引き抜く形で分離できる。
セミ/フルオートを切り替えるセレクターと、セーフティーは別々のレバー状部品として存在しているが、弾倉を固定しているマガジン・キャッチを含めて、位置は全てグリップ上部左側面にあるため、右利きの射手であれば、グリップから手を離さず全て右手親指で操作する事が可能である。セーフティーはボルトが後退し、シア(逆鉤)が上昇してボルトを保持した状態でのみ、安全位置に切り替えられる。
一般的に「トミーガンは生産性が悪かった」と認識されているが、トミーガンの省力化が図られた1940年代にはM1/M1A1のように、単純な板金曲げ加工とスポット溶接に、バレル・カラーなどの切削部品を組み合わせるだけで、同様の外見構造を強度を落とさず低コストで実現できたため、切削加工を前提とした当時の基準ではことさらに生産性の悪い構造だったとは言えない。しかし第二次世界大戦中には全軍への普及を図るべく、MP40やステン短機関銃などに代表される、より一層と生産性が高い短機関銃が要求され、その結果としてプレス加工主体のM3グリースガンの開発が行われた。
また、携行性をあまり重視しない長く重い銃ではあったが、正しく構えて保持すればその重さが発砲の反動を相殺し、良好な命中精度を発揮した。
歴史[ソースを編集]M1921を手にする設計者ジョン・トンプソン
トミーガンの設計は、元陸軍武器省大佐ジョン・T・トンプソンが提唱した「塹壕箒」(trench broom)、すなわち「1人で持ち運べる機関銃」(a one-man, hand held machine gun.)というアイデアに基づいている[2]。ブリッシュ・ロック方式を採用したM1928A1のボルト。H字型の部品が真鍮製ロッキング・ピース。ボルトは鋼鉄製で、高圧下における異金属同士に強い静止摩擦力が働くという仮説に基づき、これによってボルトの後退を遅延できるとされた。
自動火器の設計にあたって、トンプソンがとりわけ重視したのは閉鎖機構と給弾機構の2点である。作動方式については、当時多くの中・重機関銃で反動利用方式が採用されていたものの、可動部品を多数含み、重量がかさんだ上、故障も起きやすかった。ガス圧利用方式にも同様の欠点が指摘された。ブローバック方式は構造上閉鎖機構が不要で、部品点数も比較的少なく、軽量でもあった。しかし、比較的低威力な拳銃弾を発射することを想定した機構であることから、小銃弾の使用には適さなかった。適切な閉鎖機構を模索した末、トンプソンはジョン・ベル・ブリッシュ(英語版)元海軍中佐が特許を取得していたブリッシュ・ロックなる機構に注目した。これは高圧下の異種金属間に特に大きな摩擦が生じるという仮説(ブリッシュの原理)に基づいており、ブローバック方式に組み込むことができる閉鎖機構であった[3]。
1915年、トンプソンはブリッシュに接触し、創業する予定だった銃器メーカーの株式と引き換えにブリッシュ・ロックを自らの設計に取り入れられるように手配した。1916年、タバコ産業で名を挙げた著名な実業家トーマス・フォーチュン・ライアン(英語版)からの財政的な支援を取り付け、オート・オードナンス(英語版)が創業された。当時の従業員は、武器省時代の元部下で主任技師のセオドア・H・エイコフ(Theodore H. Eickhoff)とジョージ・E・ゴル(George E. Goll)の2人だけだった。ゴルは元火夫で、失業中のところをトンプソンの運転手として雇われていたのだが、その知性と機械工としての適正を見込まれ、エイコフの助手に選ばれたのである。後にトミーガンとして知られる銃の基本的な設計は主にこの2人が手掛け、また後に入社したオスカー・ペイン技師(Oscar Payne)は、自動塗油システムや大容量ドラム弾倉など、トミーガンを特徴づけた多くの革新的な機構の設計に携わることとなる[3]。
創業の時点で、オート・オードナンス社は社屋や作業場無しで設計だけを行うファブレス企業であり、実際の作業は別の企業に委託しなければならなかった。トンプソンは武器省時代の契約を通じて知り合った友人でもある実業家、ウスター・リード・ワーナー(英語版)とアンブローズ・スワジー(英語版)に接触した。