トンネル
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この項目では、道路や鉄道用などの土木構造物としてのトンネルについて説明しています。その他の用法については「トンネル (曖昧さ回避)」をご覧ください。

「機械換気方式」はこの項目へ転送されています。機械による換気全般については「機械換気」をご覧ください。
E62深川留萌自動車道(一般国道233号)幌糠トンネルの沼田側坑口

トンネル(: tunnel [?t?nl] ( 音声ファイル))または隧道(すいどう、ずいどう[1][注釈 1])は、地上から目的地まで地下海底山岳などの土中を通る人工の、または自然に形成された土木構造物であり、断面の高さあるいは幅に比べて軸方向に細長い地下空間をいう。1970年OECDトンネル会議で「計画された位置に所定の断面寸法をもって設けられた地下構造物で、その施工法は問わないが、仕上がり断面積が2平方メートル (m2) 以上のものとする」と定義された[2][3]

人工のものは道路鉄道線路)といった交通路(山岳トンネル、地下鉄など)や水道電線ライフラインの敷設(共同溝など)、鉱物の採掘、物資の貯留などを目的として建設される。

日本ではかつて中国語と同じく隧道と呼ばれていた[4]常用漢字以外の文字(隧)が使われているために、第二次世界大戦後の漢字制限や用語の簡略化、外来語の流入などの時代の流れにより、今日では一般的には「トンネル」と呼ばれるようになったが、トンネルの正式名称に「隧道」と記されることも多い(青函隧道など)。

鉄道や道路のトンネルには「入口」「出口」が定められており、起点に近い方が「入口」となっている。
特徴

山岳地帯においては、地上の地形に関わらず曲線つづら折れ勾配を減少させ、自動車列車の高速走行や大量輸送が容易になる。また強風積雪時の通行規制(豪雪地帯越えは積雪による冬季閉鎖で通行出来ない箇所が多い)を減らすことができる[注釈 2]。坑口付近を除いて景観を損ねず(景観破壊にならない)、森林破壊にもつながりにくい(生態系の保持)。海底トンネルや水底トンネルであれば、大型船の通行(であれば、橋の下を通過する大型船に高さ制限や幅制限が発生してしまう)に影響が無いといった長所が挙げられる。特に急峻な地形が連続する地域では不可欠な設備である。

その一方、短所もある。トンネルに作用する土圧水圧のため断面積を闇雲に大きくはできず、通行する車両には車両限界が設定され、従って輸送能力に制限が加わってしまうことが多い。また、断面積を大きくとるほど掘削に要する費用も増大する。地質によっては落盤を防ぐための補強で建設費が嵩むことがある。

掘削作業によって地下水脈を寸断し、周辺地域に渇水を引き起こすなど[5][6]地下水位に影響を与えることもある。

長大トンネルにおいては換気が困難で、空気が汚れやすい[7][8]。また充分な酸素が供給されないと乗客の健康を脅かし、車両の走行性能も低下する。火災時に一酸化炭素などの有毒ガスが溜まりやすいことや、場合により危険物積載車の通行が規制されることもこれに起因する。また海底トンネルや水底トンネルは内部の湿度が高く、車両やトンネル内設備が腐食しやすい。
歴史長野隧道1885年明治18年)完成

トンネルは世界各地に古くから人間の手によって造られてきた。トンネルの歴史は古く、灌漑用水路として古代に造られているが、紀元前交通路としての建設は紀元前2000年頃にユーフラテス川の河底を横断する歩行者用のトンネルバビロンに造られたのが最初とされている[4]

また、古代ローマ古代ギリシアには数多くのトンネルが造られ、現在に至るまで使用されているものも存在する。日本では近代までトンネルは発達せず、1632年寛永9年)に現在の金沢市で着工された辰巳用水が日本最初のトンネルではないかといわれている[4]

代わりに道が発達し、五街道をはじめ各地で整備が行われた。交通路のトンネルとしてよく知られるのは、1764年明和元年)頃に、禅海が20数年の歳月をかけて槌とノミだけで完成させたと伝えられる耶馬渓青の洞門(大分県中津市本耶馬渓町)がある[4]

機械動力の無い時代、あるいはその確保が困難な場合、トンネルの掘削はツルハシノミなどの器具を用いた人力に頼るしかなかった。日本においては青の洞門や中山隧道新潟県長岡市 - 魚沼市間)がその端的な例である。

なお、山梨県南都留郡富士河口湖町船津から富士吉田市新倉字出口に繋がる新倉掘抜は、農業用水として河口湖の湖水を船津側から山の下を貫通させて富士吉田側に供給するために延宝3年(1675年)から約170年かけて完成したもので、全長3.8キロメートルを測る「日本最長の手掘りトンネル」と言われる[9](富士河口湖町・富士吉田市それぞれの指定史跡[10][11])。

近代になり鉄道技術が発達すると、ヨーロッパにおいて鉄道を通すためのトンネルが多く作られるようになり、著しくトンネルの掘削技術が向上した。イギリスでは、トーマス・テルフォードロバート・スチーブンソンなどの優れた技術者が多く誕生した。

ダイナマイトが発明されると、これを用いた発破によってトンネル建設の効率は飛躍的に高まった。さらに、様々な建設機械・工法の出現によってトンネル技術は21世紀になっても進化を続けている。

日本最初の西洋式トンネルは、東海道本線神戸市内にあった石屋川隧道である。1871年明治4年)完成。天井川であった石屋川の下をくぐっていたが、同区間の高架化により消滅した。

また、日本人技術者のみで最初に造られたトンネルは、東海道本線の大津市内にあった逢坂山隧道である。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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