トンカツ
[Wikipedia|▼Menu]

豚カツ
豚カツ
テンプレートを表示
豚カツの定食

豚カツ(とんかつ)は、厚みのある豚のロースヒレスライス肉を、小麦粉溶き卵パン粉をまとわせて食用油揚げ料理である[1]。表記は、「とんかつ」・「とんカツ」・「トンカツ」・「豚カツ」など様々である。単に「カツ」と書かれることもある。カツはカツレツの略である。目次

1 概要

2 歴史

2.1 発祥

2.2 外食店

2.3 家庭向け料理書における表記の変遷


3 関連料理

4 トンカツの日

5 脚注

5.1 注釈

5.2 出典


6 参考文献

7 関連項目

8 外部リンク

概要

家庭用のレシピとしては、以下が一般的である[要出典]。
スライスされた豚肉を使う。筋切りをして塩コショウを振る。

小麦粉あるいは片栗粉をまぶして軽くはたき落し、溶き卵にくぐらせ、パン粉をつける。

天ぷら鍋に揚げ油を満たし、150 - 160℃という比較的低温で10分ほど揚げる。衣をカリっとした食感とするために、最後の1分間だけ火を強くするとよいともされる。

数センチメートル幅に切り分け、ソースからしなどを添えて提供する。

業務店では、効率化のため小麦粉と溶き玉子の代わりに業務用に販売されている「バッター粉」で代用している例も多い。バッター粉とはあらかじめ小麦粉と玉子の乾燥粉末を配合したもので「てんぷら粉」とほぼ同じものである。

カツレツとの違いは、フライの調理法をとるカツレツに対し、ディープ・フライの調理法をとることにある。油にどっぷりと浸して揚げるディープ・フライは、加熱時に外気に触れるフライに比べ肉に含まれる水分の蒸発が少ないため、しっとりと柔らかな食感に仕上がる[2] とんかつ屋の例(東京・神保町)

現在「とんかつ専門店」の多くは、茶碗飯味噌汁香の物をセットにした和食のスタイルで「とんかつ」を提供している[3]

とんかつを調味するために、とんかつソースゴマ(すり鉢ですり、ソースに混ぜる食べ方が推奨される店もある[4])、辛子などが添えられることもある。しかしながら店や地域によっては、ライスを平皿盛りし、とんかつソースではなくデミグラスソースをかけて供するなど、洋食のスタイルを残している例も少なくない。

肉の部位はロースとヒレのどちらかを選択できる店が多い。用いられた部位によりそれぞれロースカツ、ヒレカツと呼ばれる。豚かつに添えられることの多い生キャベツ千切り[5]は、消化吸収を助け、脂肪吸収を抑えるビタミンUを摂取できて有意義である[6]。またしじみ汁を添える店が多い。しじみ汁を摂取することで、脂肪分の分解を助けるメチオニンや、そこから合成されるタウリンといったアミノ酸が摂取できて理に適うといわれている[7]
歴史
発祥

豚カツという名称の由来は、“豚”の音読みの「トン」と、フランス料理の"cotelettes"(コートレットの英語読みであるカットレット cutlet)の組み合わせから。詳細は「カツレツ」を参照

1899年(明治32年)に洋食店「煉瓦亭」において「ポークカツレツ」という豚カツに通じる名称で豚肉をディープ・フライで揚げるという調理方法が見られる。洋食店「ポンチ軒」で現在の豚カツと同様の調理方法が1929年(昭和4年)に登場する。ここから「ポンチ軒」のコックであった島田信二郎が考案者とされることが多いが、「トンカツ」という名称は屋台料理などですでに存在しており、また調理法も「王ろじ」により先鞭をつけられているとの説もあるなど、未だ発祥店を特定するのは困難である。
外食店

1899年(明治32年)、
東京市銀座洋食店「煉瓦亭」が「豚肉のカツレツ」(「ポークカツレツ」)をメニューに載せた。それまでのカツレツと違い、牛肉でなく豚肉を使い、ソテー(炒め揚げ)ではなく天ぷらのように大量の油で揚げ(ディープ・フライ)[8]温野菜のかわりに生キャベツの千切りを添えて提供した[注釈 1]。西洋人だけではなく日本人の客に受け入れられることを目論んで作った料理で、人気となった。

1911年(明治44年)永井荷風の随筆「銀座」[9][10]では露店で供される「トンカツ」について触れられている[11]。また高村光太郎の1912年(大正1年)の詩「夏の夜の食欲」[12]にも「トンカツ」への言及を見ることができる[13]

関連料理としては、1918年(大正7年)に「カツカレー(河金丼)」と、1921年(大正10年)に「カツ丼[14]が誕生。同1921年に、新宿の「王ろじ」が厚切りのロース肉を揚げ、食べやすく切り分けた「とんかつ」[15][16]をはじめて売り出したという豚カツ発祥説のひとつがある[17][注釈 2]

1923年(大正12年)の関東大震災後、洋食や中華料理の人気におされて人気が下降していた日本蕎麦屋が、起死回生策としてカツ丼やカレーライスを扱いはじめたところ、気安く食べられる「蕎麦屋の洋食」として大人気となった[18]

1929年(昭和4年)、御徒町の洋食店「ポンチ軒」が「とんかつ」を発売[19][20]。カツを包丁で切り分け、茶碗飯漬け物味噌汁で食べさせるという和定食のスタイルで提供し、評判となった。2.5 - 3センチメートルという厚切りの豚肉に十分に火を通す加熱調理法を考案した同店のコック島田信二郎を「とんかつの発明者」と呼ぶ者も多いが、彼は自分の料理を「とんかつ」と呼ばれることを嫌っていたともいう[注釈 3][21]。このスタイルの「とんかつ」は好評を博し、全国に広まった[22][23]

1932年(昭和7年)には、上野浅草に「楽天」・「喜田八」・「井泉」など「とんかつ専門」を標榜する店が次々と開店し、東京下町の繁華街で豚カツブームが起こった[24]。また同じ頃、須田町食堂デパートの大食堂など、和洋中のすべてをあつかう大衆飲食店が人気となり、豚カツの普及に貢献した。一方、昭和恐慌の時期とも重なっており、安サラリーマンの贅沢は給料日に肉屋の店頭で買う一枚五銭の豚カツとも言われた[25]

1958年には、とんかつチェーン「とんかつ和幸」の第一号店が開店。カツの衣を湿らさない工夫として金網を利用したり、千切りキャベツや味噌汁をおかわり自由にするなど、新たなサービス攻勢により、豚カツ専門店の間でも競争が激化するきっかけとなった[26]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:35 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef