トロイ・ニール
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トロイ・ニール
Troy Neel基本情報
国籍
アメリカ合衆国
出身地テキサス州ブラゾリア郡フリーポート(英語版)
生年月日 (1965-09-14) 1965年9月14日(58歳)
身長
体重6' 4" =約193 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション一塁手
プロ入り1986年 MLBドラフト9巡目
初出場MLB / 1992年5月30日
NPB / 1995年4月1日
KBO / 2001年
最終出場MLB / 1994年8月11日
NPB / 2000年8月24日
KBO / 2001年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


ハワード大学

オークランド・アスレチックス (1992 - 1994)

オリックス・ブルーウェーブ (1995 - 1997, 1998 - 2000)

斗山ベアーズ (2001)

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トロイ・リー・ニール(Troy Lee Neel , 1965年9月14日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州ブラゾリア郡フリーポート(英語版)出身の元プロ野球選手内野手)。
経歴
MLB時代

1986年MLBドラフト9巡目でクリーブランド・インディアンスに指名され契約。

1991年にトレードでオークランド・アスレチックスに移籍した。

1992年メジャー初昇格。この年、AAAタコマではパシフィックコーストリーグ首位打者を獲得したほか、投手として3試合に登板している。

1993年1994年にはメジャーに定着し、2年連続で二桁本塁打を記録した。何試合かは4番打者を任され、マーク・マグワイアクリーンナップを打ったり、1993年には4打席連続本塁打を放つなど活躍していた。
オリックス時代

1995年2月1日に「アスレチックスの4番打者」という触れ込みでオリックス・ブルーウェーブに入団。背番号「16」、契約金、年俸それぞれ1億円という破格の待遇で4番打者として活躍。7月13日の千葉ロッテマリーンズ戦で成本年秀からサヨナラ本塁打を放った。同年は1本差で本塁打王を逃すものの、リーグ優勝に貢献し、ヤクルトスワローズとの日本シリーズでは1勝4敗と完敗を喫し、シリーズ第5戦で一打逆転の場面で代打に立ち全力疾走を怠って併殺打に倒れた助っ人は周囲の怒りを買い、井箟重慶球団代表から八つ当たりのように「これは性格上の問題で、言っても直るものではない」とバッサリ、一時は電撃解雇が報じられるも土壇場で撤回された[1]。指名打者でベストナインに選出。

1996年には4月14日の西武ライオンズ戦で西口文也からサヨナラ本塁打、6月25日の日本ハムファイターズ戦で岩本勉からサヨナラ本塁打、9月8日のロッテ戦で河本育之からサヨナラ2ラン本塁打を放った[2]。4月下旬から四番に座ると、7月6日の近鉄バファローズ戦(グリーンスタジアム神戸)では1試合3発、7打点の荒稼ぎ[1]。さらに日本ハムとの優勝争い佳境の8月24日から9月8日までの12試合で、50打数20安打の打率4割、8本塁打、30打点と無類の勝負強さを発揮する[1]。後半戦から定着した「三番・右翼イチロー、四番・DHニール」の打線についても、「この打順はグレートだよ。イチローはリーグ一出塁率の高いバッターだし、俺としても今はすごくラクに打席に入れているからね」[1]と述べている。本塁打王と打点王を獲得し、オリックスの2連覇に貢献した。

長距離砲の少なかったオリックスにとっては貴重な存在だった。三振は多いがチャンスに強く、1996年の日本シリーズでも17打数3安打で打率.176の成績だったものの、放った3安打が全て2点タイムリーヒットで6打点をマークし、MVPに輝いた。野手の日本シリーズMVPで3安打・4塁打・打率.176・長打率.235は、2018年甲斐拓也福岡ソフトバンクホークス)が更新するまで史上最小値であった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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