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トレーディングカード(Trading Card)とは、個々に異なる様々な種類の絵柄や写真が印刷されていて、収集(コレクション)や交換(トレード)されることを想定して作られ販売・配布される鑑賞用またはゲーム用のカード。英語圏ではコレクタブルカード(Collectable Card)とも呼ばれる。日本ではトレカと略されることが多い。他に応募券や金券の要素を持つカードなどもある。 ビニールコートされた紙などに印刷されており、大きさはテレホンカードなど一般的なカード類に近い定型などがある。通常、ある特定の分野(個々のスポーツ、アニメ、アイドルなど)を題材にして、数十から数百種類のカードが作られ、それらを1シリーズとして1袋に1枚もしくは複数枚封入してパックと呼ばれる形態で発売されているものが多い。トレーディングカードの名の通り、同好の収集家と取り引きされることを前提としているためか、ほとんどの商品はランダムでカードが封入され、購入時にはどのカードが入っているのか中身が分からず、簡単に全種類集められないような工夫がされているのも特徴であり、一般的なセット売りのポストカードなどと決定的に異なるポイントと考えられる。 愛好家の間で価値を認められたカードや市場流通数が意図的あるいは偶然に制限されたカードには希少価値があり、それぞれの分野の愛好家にとって「レアカード」として収集・取り引きの対象となる。一般的に希少であったり、題材の人気が高いなど、なんらかの付加価値を持ったカードは、他のカードに比べ高いレートで取り引きされる。 トレーディングカードの概念がいつ発生したのかについては諸説あるが、トレーディングカードが盛んな本場・アメリカ合衆国においては、19世紀後半からたばこの販売促進目的で同封されたシガレットカード(タバコカード)が始まりであるとするものが多い。当時のたばこのパッケージ箱は薄く、中の紙巻たばこが折れやすかったため、補強として厚紙が入れられていたが、その紙のカードにイラストや広告文を入れて宣伝手段としていたのが始まりである。それがやがてカード単体のコレクターが現れる人気となる。19世紀末、アメリカのジェームス・B・デューク(James Buchanan Duke)はこのカードに着目して力を入れ、イラストごとにシリーズ化して積極的にカードの種類を増やし、イラストのみならずカード裏面にはイラストの解説文やカード番号を入れるなど、現在のトレーディングカードの原型となる形式を取り入れ、シリーズでコレクションする楽しみを与えて収集意欲を刺激した。これが当たってデューク社のたばこは売れに売れ、その人気と手法はヨーロッパなど世界中に伝わり、たばこ各社はカードのアイディアと印刷の出来映えに社運をかけるほどこぞって力を入れた。 図案の題材・シリーズとしては、様々な衣装・時代の女性、女優・俳優、映画の名シーン、自動車・汽車・船、動物、花・風景、トランプの数字が書かれトランプゲームのカードとしても使えるものなど多岐に渡り、世界各地の都市で制作され流通した。その中でも、スポーツを題材としたものは特に人気が高かったようで、野球・サッカー・アメリカンフットボールや、オーストラリアにおいてはオーストラリアンフットボールの選手を題材としたものも存在する。とくに野球選手ホーナス・ワグナーのたばこカード(1909年頃)は、現存数が極めて少なく、2021年にはアメリカのオークションで660万6000ドル(当時の日本円で約7億2700万円)[1]で売買されており、「トレーディングカード界のモナリザ」とも言われる。これらの封入カードはその後、たばこから菓子や食品などにも同封される形で範囲を広げていく。 アメリカでは、1933年のGoudy Sports Kingなどを経て、1951年にTopps(トップス)社が蝋引き紙に自社のガムと野球選手のカードを封入したTopps Baseballを発売し現在まで新作を発売している。なお、Topps Baseballは1992年よりガムの封入と蝋引き紙を一部の商品を除きとりやめ、トレーディングカード商品のみの販売としている。Topps社は散発される各メーカーを買収したり、メジャーリーグ機構などと提携することでほぼ独占的な市場を保ったが、1980年に独占禁止法に抵触するという判決が下され、翌年にはFleer(フレア)、Donruss(ドンラス)の2ブランドからメジャーリーグを題材とするガムなど菓子を含まないカードのみの商品が発売されるに至る。 その後、1988年にScore(スコア)から初の両面カラー刷りのカードが発売され、1989年にはUpper Deck(アッパーデック)から「Collector's Choice」の謳い文句の元に6色印刷、両面ビニールコーティング、偽造防止のホログラム付きのカードが発売される。この時期アメリカ国内において、トレーディングカードが一部の投資家に投機対象と見られたこともあり空前のトレーディングカードブームの中での出来事であった。1990年にはUpper Deckが初めて同一時期に発売される同一商品の中に希少度の異なる「インサートカード」を本格的に封入したことにより、現在のトレーディングカードの基本的な形態ができあがった。その後、選手の実使用グッズの切れ端を挟んだ「メモラビリアカード」と呼ばれるインサートや選手の直筆サインカードが生まれ、高級志向かつ珍しいカードを欲する裕福な大人のユーザーと高単価の商品を売りたいメーカーの思惑が一致し、急激な高価格化が進み、たばこカードの時代とは別の意味で主に大人の趣味へと戻っていった。 高級化・高価格化は止まるところを知らず2004年にはついにUpper DeckからNBA 04-05 UD EXQUISITE COLLECTIONという標準的な小売価格が1パック1000ドルを超える商品まで発売されるに至り、またDonrussがベーブ・ルースの現存する5枚のユニフォームの中の1枚を切り刻んでカードに封入する目的で購入したといったニュースも流れた。 日本でも上記の欧米でのたばこカードの流行にのって、東京の岩谷商会と京都の村井兄弟商会という当時の二大たばこ会社が1899年頃からたばこカードを作り、流行した。当初は輸入たばこのカード絵柄を真似た欧米風のイラストが多かったが、やがて日本の芸者や花札、百人一首など独自のイラストシリーズのカードも印刷されるようになった。カード目当てに子供がたばこを吸う事例が問題となり、1900年に未成年者喫煙禁止法が成立した。その後、たばこカードの販促手法を元にして、1927年頃から東京六大学野球の花形スターを題材としたグリコのおまけカードが作られた。この流れの中に「お茶づけ海苔」に代表される永谷園商品に付録された東海道五十三次カードもあると考えられる。菓子に同封されることによって、カード収集はおもに子供の趣味へと移行していった。 日本における、「トレーディングカード」という名前が作られる以前の収集対象となるカード類として有名なものには、紅梅キャラメル 紅梅キャラメルは1951年から東京紅梅製菓から発売された商品であり、読売ジャイアンツの選手を題材としてカードが封入されていた。このカードは各ポジションの選手1枚ずつと水原茂監督のカードを集めてメーカーに送ることで、当時としては豪華な景品と引き換えられることで爆発的な人気を得た。この企画は全国の多くのメーカーで模倣され、「日の丸キャラメル」「カバヤキャラメル」「カルビーキャラメル」「浅山笛ガム」などはマニアによく知られるところである。 その後、森永「トップスターガム」や日本初の本格的トレーディングカードとされるカバヤ「リーフガム」の封入カードを経て、1971年にカルビーは「仮面ライダースナック」を発売する。当時の人気番組「仮面ライダー」を題材としたこの商品では、紙袋に1枚のカードを封入したものを店頭で渡すという配布形式が取られた。この商品の流れでカルビーは『ウルトラマンA』『マジンガーZ』といった当時の子供向け人気番組を題材に取ったものも発売し、和泉せんべいが『超人バロム・1』、カバヤが『ワイルド7』などを題材とした商品を販売し、突然といった活況を呈した。しかしこれらの商品は何も降って湧いたものではなく、ベースとなるアイデアとしてめんこや「5円引きブロマイド」と呼ばれた駄菓子屋を通して流通した商品からインスパイアされたものであると思われる。さらにカルビーは1973年に現在まで続く「プロ野球スナック」を発売するに至る。 ほぼ同時期に森永製菓からシール付き菓子「チョコベー」が発売され、同封された「ベーシール」が子供たちにヒットした。ベーシールは1977年に発売されたロッテの「ビックリマン」に同封されたシールに似たクリアタイプの素材を使ったシールであったが台紙には何も印刷されなかったこともあって、トレーディングカードの流れには認識されていない。
概要
歴史
日本での歴史