トレバー・ホフマン
Trevor Hoffmanサンディエゴ・パドレスでの現役時代
(2008年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地カリフォルニア州ベルフラワー
生年月日 (1967-10-13) 1967年10月13日(56歳)
身長
体重6' 0" =約182.9 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1989年 ドラフト11巡目(全体290位)でシンシナティ・レッズから指名
初出場1993年4月6日
最終出場2010年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
アリゾナ大学
フロリダ・マーリンズ (1993)
サンディエゴ・パドレス (1993 - 2008)
ミルウォーキー・ブルワーズ (2009 - 2010)
アメリカ野球殿堂 殿堂表彰者
選出年2018年
得票率79.9%
選出方法BBWAA選出
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トレバー・ウィリアム・ホフマン(Trevor William Hoffman, 1967年10月13日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ベルフラワー出身の元プロ野球選手(投手)、右投右打。
現役時代は主にサンディエゴ・パドレスで活躍し、1990年代後半から2000年代にかけてのMLBにおいてニューヨーク・ヤンキースのマリアノ・リベラと並び称されたクローザーであった[1]。MLB歴代2位の通算601セーブを積み重ねた(史上初めての通算600セーブ達成者。また、通算セーブ数はナショナル・リーグでは歴代1位)。シーズン成績では、30セーブ以上を14回、うち40セーブ以上を9回達成した[2][3]。
ファンからは "ホフィー" (Hoffy)という愛称で親しまれている。
2018年、アメリカ野球殿堂入りを果たした[4]。また、兄のグレン
(英語版)も元MLB選手(遊撃手)で、2006年から2020年までパドレスで三塁コーチを務め、現在はパドレスの顧問を務めている。1967年10月13日に誕生。動脈の血流が生まれつき悪かったので、生後6週目に片方の腎臓を摘出する手術を受けた。そのため、無事に成長した後もアメリカンフットボールやアマチュアレスリングなどの激しい接触を伴うスポーツをすることは禁じられた[5]。兄のグレンがボストン・レッドソックスに入団後、ホフマンも野球にのめり込むようになる。アリゾナ大学へ進学し野球部に入部した際は、腎臓が1つしかないホフマンに大学側は「もしボールが体に当たって死ぬことになっても、大学は一切の責任を負わない」という条件を承諾させる。ホフマンの唯一の腎臓が右半身にあるのに対し、ホフマンは右打者であるため死球を左半身で受けることになるので、この取り決めが成立したという[6]。大学では内野手としてプレーした。 1989年のMLBドラフトでシンシナティ・レッズから11巡目(全体290位)指名を受ける。しかし、入団後は芳しい成績を残せなかった。 1990年にはマイナーリーグA級のチャールストンで103試合に出場するが打率は.212に終わっている。野手としてはメジャー昇格の見込みなし、と判断した首脳陣は、ホフマンを投手にコンバートする[6]。本人によれば「肩の強さと多少のコントロールには自信があったが、12歳を最後にマウンドに上がったことがなかったので不安の方が大きかった」[5]。
プロ入りとレッズ傘下時代