トレジャーハンター
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トレジャーハンター (: Treasure hunter)は、(沈没船)や廃墟遺跡など、主に人の手の入ることのない場所に赴き、遺された「財宝」を探し出す(トレジャーハント、もしくはトレジャーハンティング)ことを主な目的とする人。
概要

世界には財宝や遺物と共に滅亡した文明の遺跡、嵐に襲われて沈没した財宝船、戦争中に略奪されたり紛失した貴重品、何らかの理由で地中に埋めて隠された財宝などが多数存在する。トレジャーハンターとはそうして失われていった財宝を見つけ出そうとする人々である。また、水中や砂漠密林などの「秘境」に赴いて財宝探しを行う場合は探検家冒険家と呼ばれることもある。

対象となる「財宝」は黄金宝石などの貴重品で作られた物品であるが、著名な人物の遺体[1][2][3]などといったものも含まれる。発見された財宝はオークションで高値で取引される場合もあれば、所有の代わりに金銭が支払われることもある。アメリカイギリスなどでは、トレジャーハントのみで生計を立てるプロのトレジャーハンターも存在する[4][5][6]

また、これらのイメージから派生して、町や家にあるがらくたなどの中から価値のある品(骨董品・希少価値の高いものなど)を探し出す人をトレジャーハンターと呼ぶこともある。近年ではグーグル・アースなどを使用して遺跡を発見するトレジャーハンターも存在する[7]
トレジャーハンターが追い求めるものルバスールの暗号文。1700年代にフリーメイソンの間で使われていたピッグペン暗号(英語版)と呼ばれる方式で書かれている[8]

国際財宝探検家協会の会長ロベール・シャルー(英語版)は世界各国の失われた財宝600件の情報を起源に基づいて15種類に分類した[9]

分類によると一番多いのが沈没船の財宝の250件で、その次が130件の正体不明の財宝、3つ目が海賊盗賊によって略奪された略奪品(45件)となる。一番少ない順では、芸術的財宝とオリジナルな財宝(それぞれ1つ)を始めとして、2番目が王墓の財宝(3件)、3番目が遺跡や廃墟に眠る正体不明の財宝(5件)である。

海賊の隠し財宝はフィクションでも言及される有名どころである。1701年に処刑されたキャプテン・キッドの財宝が今もなお何処かに隠されているとの言説には様々なバリエーションがある。

カリブ海の海賊ではヘンリー・モーガンの財宝伝説が彼の乗組員の口から語られている。黒ひげは自船の船員に財宝のありかを聞かれて「‘そいつは俺と悪魔しか知らねえ。一番長生きした奴がかねを持っていくのさ[10]’」という言葉を残し、財宝伝説を誕生させた。

レユニオン島では処刑直前の海賊オリビエ・ルバスールが処刑台から財宝の隠し場所が書かれた暗号文を民衆に投げつけて「この暗号を解いた者に財宝をくれてやる」と叫んだ。この話は後世の創作だともされるが暗号文を解読する試みは今も続けられている。

同じインド洋の海賊ではベルナルダン・ナジョン・ド・レスタン(Bernardin Nageon de l'Estang)がモーリシャス島に財宝を隠し、そのありかを示した手紙を自分の親戚に送った。20世紀にはレスタンの宝を求めて株式会社が設立されたが、宝を発見することは出来なかった[11]

財宝を積んだまま水中に眠る沈没船が世界各地に存在する。こうした沈没船はきっちりとした記録が残っていることが多く、個人の活動だけでなく会社を設立して宝の引き揚げを目論む人々も存在する。沈没船の記録は例えばスペインの財宝船であれば、スペイン本国の図書館などに保管されていることが多い。アメリカフロリダ州には、数百年前に財宝を積んだまま沈没したスペインの船が存在し、その財宝を探すトレジャーハンターの中には発見した財宝を収集家などに売却して、さらに宝探しを続ける人もいる[12]

ローマ帝国支配下のイギリスでは、サクソン人の侵略を受けた英国のローマ人たちが手元に置いておくことができない財宝を一時的な処置として地中に埋めて隠した[13]。しかし、回収されずに現代に至るまで地中に眠ったままの財宝も多く、それらが偶然に発見されることがある。

その他、イギリスでは、趣味として宝探しをする人々が地中に隠されていた財宝(前述したものに限らない)を発見することがある[14]。イギリスで発見される遺物の90%がアマチュアのトレジャーハンターによって発見されていて、こうした一般の人々による活動は「ランド・フィッシング」と呼ばれている[15]。トレジャーハンターによって発見された財宝に「スタッフォードシャーの宝庫(英語版)」などがある。

カンボジアのジャングルにはいくつもの遺跡が点在しているが、数が多すぎることや財政難などによって地表に放置されたままになっている。トレジャーハンターはそういった遺跡を発見するために同国の密林に足を踏み入れている[16]

『1753年発見の......大きな隠された古代都市の史記(英語版)』なる古文書に記された古代都市の話はトレジャーハンターをブラジルに惹き付けている[17]。また同国内では、1925年に失われた都市Zを求めてマットグロッソの密林で消息を絶った探検家パーシー・フォーセットの足跡を追い求めているトレジャーハンターが存在する[18]
発見物の利権

財宝を発見した場合、発見した場所によっては法律的な所有権が絡んでくる。
日本国内の場合

地下に埋められた財宝を発掘した場合には、民法第241条「埋蔵物の発見」に基づいて、発掘した財宝は遺失物扱いとなり、警察に速やかに届け出なければならない。通常の場合とは違い6か月間、所有者が現れるのを待ち、もし現れなかった場合には、発掘した土地の地主との折半になる。自分の土地の場合は、すべて自分のものとなる[19]。1963年(昭和38年)、東京都中央区新川の日清製油本社ビルの改築工事現場から江戸時代の金貨が大量に発見された事例では、もともと当地に屋敷を構えていた豪商鹿島清兵衛が埋めたことが分かり子孫に返還された。

なお、2019年現在、日本国内において道路工事などで偶然小判等が発見された例はあるが、意図的な探索で「埋蔵金」を発見したトレジャーハンターは存在しない[20]

海中で発見した場合はまた異なり、「水難救護法」が適用される。こちらの届け出先は警察ではなく、沿岸部の各市町村となる。財宝が剥き出しのままの場合には6か月間、沈没船などの船内にあった場合には1年間、所有者が現れるのを待ち、現れなかった場合にはすべてが発見者のものとなる。また、もし現れた場合でも、所有者は財宝の価値の3分の1に相当する金額を発見者に支払うことになっている。
日本国外の場合.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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イギリス詳細は「財宝法(英語版)」を参照

イギリスで財宝を発見した場合は、発見時から14日以内にそれを国に提出する必要がある[15]。制作されてから300年以上が経過している黄金や銀のアーティファクトが財宝と定義され王室の所有物になるが、財宝を売却した値段と同額の補償金が支払われる[15]。一般の土地で発見者と地主が別の場合は、発見者と地主とで補償金を分け合うことになり、黄金や銀ではない遺物は王室の物にはならずに競売に掛けられることもある[15][註 1]


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