トレイボン・マーティン射殺事件
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トレイボン・マーティン射殺事件
フロリダ州,サンフォードの地図
場所 アメリカ合衆国フロリダ州サンフォードリトリート・アット・ツイン・レイクス(英語版)
座標28.79295°N 81.32965°W
日付2012年 2月26日
7:09 PM (開始), 7:16 PM (gunshot on 911 call), 7:17 PM (警官の到着), 7:30 PM (トレイボンの死亡)
7:09 PM (米国東部標準時間) –
死亡者トレイボン・マーティン
負傷者鼻部骨折, 後頭部裂傷(ジマーマン)
関与者ジョージ・ジマーマン(銃撃)
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トレイボン・マーティン射殺事件(: Killing of Trayvon Martin)とは、2012年2月26日の夜、フロリダ州サンフォードにおいて、アフリカン・アメリカンの高校生で当時17歳のトレイボン・マーティンを、ヒスパニック系の混血である自警団団員だった当時28歳のジョージ・ジマーマンが射殺した事件である[1][2][3]

二人は口論をしたのちに、ジマーマンが丸腰であったマーティンを撃った。警察は、ジマーマンからの早いうちの通報から、発砲から二分の内に現場に到着した。その後、ジマーマンは警察に拘置され、頭部の負傷の治療を受け、5時間の尋問を受けたのみであった。事件当時の警察署長、ビル・リー(後述)によると、ジマーマンが釈放されたのは彼の行為が正当防衛でないと示す一切の証拠が発見されなかったためであり、またフロリダ州における正当防衛法である、スタンド・ユア・グラウンド法(英語版)[注釈 1]では、警察による逮捕が法律で禁止されているためであるとした。また、リーは、ジマーマンは致命的な危機に対する正当防衛の適切な権利を持っていたとも述べている[4]

この一件は、ジマーマンの逮捕と十分な取り調べを求めるための、何千という抗議の声としてアメリカ全土に広まり[5]、後にブラック・ライヴズ・マターとして人権運動に発展する[6]

ジマーマンの公判(英語版)は2013年の6月10日にサンフォードにおいて始まり、同年7月13日に陪審はジマーマンに対して第二級謀殺などについての無罪を宣告した[7]
事件の関係者
トレイボン・マーティン詳細は「トレイボン・マーティン(英語版)」を参照

トレイボン・ベンジャミン・マーティン(Trayvon Benjamin Martin、1995年2月5日 ? 2012年2月26日)は、母Sybrina Fultonと父Tracy Martin(1999年に離婚)の息子である。

彼はDr. Michael M. Krop高校の3年生(日本の学制では2年生に相当)であり、彼の母親と兄弟と一緒にフロリダのマイアミガーデンズに住んでいた[8][9][10]

事件の当日は、トレイボンと彼の父親は、父親の婚約者の女性とその息子を訪ねてフロリダ州のサンフォードを訪ねていた。この女性がリトリート・アット・ツイン・レイクス(英語版)[注釈 2]に住んでおり、トレイボンはそれ以前に数度、多民族のコミュニティーを訪れていた[11][11][12]

検死結果によると、彼の身長は180cm、体重は72kgであった。
ジョージ・ジマーマン詳細は「ジョージ・ジマーマン(英語版)」を参照

ジョージ・マイケル・ジマーマン(1983年10月5日 - ) はヴァージニア州マナサス生まれ[13]で、ペルー生まれのGladys (nee Mesa) Zimmerman[14]と引退したヴァージニアの行政官Robert Zimmerman Sr.,の子である[15][16]。事件の当時、ジマーマンは保険金詐欺の調査を行う仕事をしていた[14]。彼は以前、Seminole State Collegeで刑事裁判の学位をとるために勉強していた[17]

警察による取り調べの1つでは、彼の夢は裁判官になることであったという[18]

2012年4月11日に彼が逮捕された際のデータでは身長は170cmで体重は84kgであったという(the Seminole County Sheriff's Office Inmate Bookingの記録に基づく[19])。なお、サンフォード警察署の2012年2月26日の被害届によると事件のあった夜は、それぞれ身長173cmで体重は91kgであったという[20]

ジマーマンと彼の妻は2009年にThe Retreat at Twin Lakesに引っ越してきている[11][21]
サンフォード警察署

事件当時の警察署長は就任して10ヶ月だったビル・リー[注釈 3]であった[22]

サンフォード警察署は、リーの前任の署長の時代にも、黒人との暴力事件に関与した警察官の親族を保護しているとを非難されており、その上でのトレイボンの一件はサンフォードに住む黒人コミュニティの、警察に対する不信感を一層増加させることとなった[23]

3月22日、署長職にあったリーは、当時件への対処に対して広がる一般人からの批判に対処しきれないことを理由に一時的に署長職を辞職した[22]。4月になりサンフォードの市委員会は、リーの辞職要求の受理を拒否する決定をし、その上でLee's spotless record showed there needed to be further review to determine if he failed in his duties.という声明を発した。その後、リーはサンフォード市の市政担当者であったノートン・ボナパルト[注釈 4]によって2012年の6月20日に解雇の処分となった[24]。この処分に対してリーはI continue to stand by the work performed by the Sanford Police Department in this tragic shooting, which has been plagued by misrepresentations and false statements for interests other than justice.と反論している[25]

2012年6月26日、当時件の調査官であったクリストファー・セリーノ[注釈 5]は、サンフォード警察署内の調査部門から移され、彼の求めに順じてパトロール部門に再度割り当てられた[26]。このことについてセリーノは、何人かの同僚の警官から(その内の一人はトレイボンの父親と友人であったという)彼がそうするのに適切な証拠がそろっているとは思えない段階から、ジマーマンに対して非難をするようにという圧力を感じていたと語っている[27]


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