トルン
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Toru?



紋章

愛称: City of Angels, Gingerbread city, Copernicus Town
標語: "Durabo" (ラテン語: "I will endure")
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯53度0分47秒 東経18度35分50秒 / 北緯53.01306度 東経18.59722度 / 53.01306; 18.59722座標: 北緯53度0分47秒 東経18度35分50秒 / 北緯53.01306度 東経18.59722度 / 53.01306; 18.59722
ポーランド
クヤヴィ=ポモージェ県
カウンティcity county
設立13世紀
市制施行1233
政府
 ? 市長Micha? Zaleski
面積
 ? 都市115.75 km2
標高65 m
人口(2021)
 ? 都市196,935人
 ? 密度1,700人/km2
 ? 都市圏297,646人
等時帯UTC+1 (CET)
 ? 夏時間UTC+2 (CEST)
郵便番号87-100 to 87-120
市外局番+48 56
カープレートCT
ウェブサイトhttps://www.torun.pl/

中世都市トルン
ポーランド

トルンの市庁舎
英名Medieval Town of Toru?
仏名Ville medievale de Toru?
登録区分文化遺産
登録基準(2),(4)
登録年1997年
公式サイト世界遺産センター(英語)
地図

使用方法表示

トルン(Toru? (イギリス: [?t?r?nj?],[1] アメリカ: [?t??ru?n(j?), ?to?ru?n],[2][3] ポーランド語: [?t?ru?] ( 音声ファイル); ドイツ語: Thorn))は、ポーランド中北部ヴィスワ川のほとりに位置する工業都市で、クヤヴィ=ポモージェ県の県議会所在地。1998年までは旧トルン県の県都であった。1997年に旧市街が世界遺産に登録された。トルンは、中世からプロイセン領内にあった都市。

トルンはブィドゴシュチュからヴィスワ川を遡り東南東に40kmほどのところにある。2003年にはブィドゴシュチュ医科大学がトルン大学に統合された。

日本語ではトルンの表記の他、トルニと表記されることも多い。
名前の由来

1226年の記録には「Thorn」として登場し、1466年ごろの文書には「Thorun」、「Turon」、「Toron」、「Turun」、「Thoron」などという名で記述されていて、15世紀以降のポーランド王国支配下後は現在のポーランド語名称「Toru?」となっている。トルンの名称の起源についてはいくつかの説がある。
十字軍によって樹立されたエルサレム王国に「Toron」という町があり、この名に由来した「Thorn」という町をドイツ騎士団がかつてトルンがあった場所(古トルン)に建設した。

ポーランド語で「道」、「軌道」あるいは「(水の)流れ」を意味する「tor」に由来する。つまり「流れ(沿い)の町」、「ヴィスワのほとりの町」を意味する。

「Toron」という人物の名前に由来している。つまり、「Toronの町」を意味する。

「tarnina(りんぼく)の町」を意味する「Tarnow」に由来する。Tarnow という名の町はポーランド各地にある。これがのちにドイツ語化して「Thorn」となり、ふたたびポーランド語化されて「Toru?」となった。

北欧神話の神、トールに由来する。

しかし、「Toru?」にも「Thorn」にも語源的意味はないとする主張もある。

ドイツ騎士団国時代はトルンの名をたいてい「Thorun」と綴り、のちにトルンがポーランド王国領に入ると12世紀にポーランドに導入されたラテン文字での文書には「Thorun」、「Thorunium」、「civitas Thorunensis」、「civitas Torunensis」と記述されるようになった。その後「Thorn」となり、第二次世界大戦後にポーランド領になると、現代の名称「Toru?」になった。
歴史

紀元前12?11世紀 ? ラウジッツ文化時代に要塞として建設

8世紀?12世紀 - ヴィスワ川の渡し場の近くに存在

1230年 - ドイツ騎士団が古トルンに要塞を建てる

1233年12月22日 ? ドイツ騎士団総長のヘルマン・フォン・ザルツァとHermann Balkは調印し、都市としての権利を獲得。この後2世紀以上の間、ドイツ騎士団国家に含まれる。

1236年 - 現在トルンがある場所へ移動

1264年 - 新市街の建設

1280年 - 騎士団と東方植民の影響下によってハンザ同盟に加盟、この時期トルンは発展して重要な商業中心地となる。

1410年 - タンネンベルクの戦いポーランド・リトアニア連合が騎士団に勝利する。

1411年 - 第一次トルンの和約。ドイツ騎士団とポーランド・リトアニア連合が和約。

1440年 - プロイセン連合に加盟。

1454年 - ドイツ騎士団に対するプロイセン連合の反乱をきっかけに、十三年戦争が始まる。 騎士団の城を破壊し、新市街と旧市街を連結する

1466年 - 第二次トルンの和約ドイツ騎士団国の西部地域は王領プロイセンとなり、ポーランド王国支配下に入る。

1473年 - ミコワイ・コペルニク(コペルニクス)がトルンで生まれる

1500年 - 聖ヨハネ大聖堂に「Tuba Dei」の鐘が吊るされる。

16世紀 - 住民の大半がプロテスタントに改宗

17世紀 - スウェーデンとの大北方戦争で街が荒廃する。プロテスタント教徒とカトリック教徒の間は宗教上緊張した関係となる。

1724年 - 「トルン騒動」が起きる

18世紀中盤 - 人口50%は紳士階級や中流階級はドイツ語を話すプロテスタント、残り50%はカトリックポーランド人

1793年 - プロイセン王国に併合される

1807年 - ティルジット条約によりワルシャワ公国に編入

1815年 - ポーランド分割ウィーン会議の決定によりふたたびプロイセン王国領になる。


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