トルコ国鉄
Turkiye Cumhuriyeti Devlet Demiryollar?
トルコ国鉄路線図
E43型電気機関車牽引の列車
報告記号TCDD
路線範囲 トルコ
運行1927–現役
前身Oriental Railway
トルコ国鉄(トルコこくてつ、トルコ語: Turkiye Cumhuriyeti Devlet Demiryollar?, TCDD)は、トルコの公共鉄道システムを運営する国営鉄道である。1927年に創立され、オスマン帝国崩壊後トルコ共和国内に残された私営の会社により運営されていた鉄道の運行を引き継いだ。
総延長10991kmを超える鉄道路線を運営し、インターレイルパスの一員となっている。
国内外の発着を含め、トルコ国鉄はトルコ全体の鉄道運営者として、すべての旅客・貨物・郊外鉄道を運営する。以前はトラキアとアナトリア、2つの鉄道網はイスタンブールのボスポラス鉄道フェリーを利用してのみ接続されていたが、マルマライ(ボスポラス海峡の海底鉄道トンネル)の開通により地下鉄での接続が可能になった。
運行イスタンブールのヨーロッパ側にあるシルケジ駅はオリエント急行のターミナル駅として1890年に開業した。イスタンブールのアジア側であるハイダルパシャ駅はバグダード鉄道とヒジャーズ鉄道のターミナル駅として1908年に開業した。
国際的な接続
ヨーロッパ方面
ボスフォル急行 (イスタンブール - ブカレスト)
バルカン急行 (ブカレスト - ブダペスト)
プリエテニエ急行 (ブカレスト - キシナウ)
バルカン急行 (ソフィア - ベオグラード)
ドストルク/フィリア急行 (イスタンブール - テッサロニキ)
IC 90 / 91 (ピティオン en:Pythio - テッサロニキ)
コーカサス方面
バクー=トビリシ=カルス鉄道
寝台急行Do?u Ekspresi(英語版)
1936年から、イスタンブール=カルス間1,944kmを約32時間かけて結ぶ寝台急行列車が運行されていたがアンカラ=イスタンブール間の高速鉄道の開業に伴い Do?u Ekspresi の運行区間はアンカラ=カルス間に変更されている。 トルコには、イスタンブールに2つ、アンカラに1つ、イズミルに1つ、計4系統のトルコ国鉄が運営するコミューターサービスが存在する。すべての系統で、E8000系電車 トルコの鉄道の歴史は1856年
中東方面
トランスアジア鉄道 (イスタンブール - テヘラン)
ヴァン - タブリーズ
トロス急行 (イスタンブール - ガズィアンテプ - ダマスカス)
イスタンブール - ガズィアンテプ - バグダード (運転停止中)
郊外鉄道
歴史
オスマン帝国時代
1856年から1922年にかけて以下の路線がオスマン帝国の領内で建設された。
ルメリ鉄道 2383km 標準軌
アナトリア - バグダード鉄道 2424km 標準軌 (バグダード鉄道)
イズミル - カサバ(en:Kasaba) 695km 標準軌
イズミル - アイドゥンとその支線 610km 標準軌
ダマスカス - ハマー
ヤッファ - エルサレム 86km 標準軌
ブルサ - ムダニヤ 42km 狭軌
アンカラ - ヤフシハン(en:Yah?ihan) 80km 狭軌
ダマスカス - メディナ 1300km 狭軌 (ヒジャーズ鉄道)
計 9,919km
トルコで共和国の建国宣言後、国内には外国の会社により建設された鉄道路線の4,000kmだけが残された。より具体的に言うと、新生トルコ共和国がオスマン帝国から継承したのは、外国の会社が所有していた2,282km の標準軌線と 70km の狭軌線、そしてオスマン帝国自らが所有し運営していた1,378km の標準軌線であった。 共和国成立前、鉄道路線は外国の会社の利益のために建設が宣言されていたが、共和国の成立後は、自国のための鉄道路線が建設された。これは鉄や石炭などを基礎とした1932年から1936年までの間に公表された工業化計画に明確に見ることができる。これらの鉱石などを輸送する最も安価で最も効率的な方法が鉄道建設であった。この間交通に関する財政上の資産は鉄道に向けられた。 期間が短かったため鉄道建設はハイスピードで続けられた。第二次世界大戦の間は建設のスピードが低下した。1923年から1950年までの間に3,578kmが建設されたが、そのうちの3,208kmは1940年以前に完成した。 そうした頃に鉄道は国民経済計画に組み込まれた。鉄道建設の目的は以下のように表明されている。 これらの目的を達成するため、鉄道政策は2段階に集約された。
共和国建国後
1923年から1950年まで
潜在的な生産拠点と天然資源を結びつけること。
生産拠点と消費地、特に港とを結びつけ、農村部とのコミュニケーションを円滑にすること。
国の経済発展の速度を上げるため、商業的に未開発の地域を接続すること。この政策により、1927年にカイセリ、1930年にスィヴァス、1931年にマラティア、1933年にニーデ、1934年にエラズー、1935年にディヤルバクル、1939年にエルズルムが鉄道網に接続された。
国の安全度を高めること。したがって、鉄道を含めた国内の総合的なコミュニケーション網を作り出すこと。
財政的問題にもかかわらず、外国の会社にされていた鉄道は買収されて国有化された。その一部は合意の上で行われた。
それまでの鉄道路線のほとんどがトルコ西部に集中していたため、中央部と東部を貿易拠点や海岸に接続することが目的となった。この期間に新たに建設された区間は、アンカラ - カイセリ - スィヴァス, スィヴァス - エルズルム(コーカサスルート)、サムスン - カルン(スィヴァスルート)、ウルマック - フィリヨス(ゾングルダク石炭ルート)、アダナ - フェヴズィパシャ - ディヤルバクル(銅ルート)、スィヴァス - チェティンカヤ
1935年から1945年の間にそれらの鉄道が結ばれ、それらが結合されたことにより環状部分が形成され、例えばアンカラ - ディヤルバクル間の距離は1,324kmから1,116kmへ短縮された。 オスマン帝国より残された道路網は、全長13,885kmの荒廃した道路と全長4,450kmのそうでない道路、計18,335kmの道路と94の橋であった。
1950年以降