トルコの競馬(とるこのけいば)では、トルコにおける競馬について記述する。 トルコの競馬は、1953年に制定された競馬法に基づいて、トルコ政府の権限委任により、農業森林省
歴史
1856年、イズミル(スミルナ)において西洋人とトルコ人の有力者がスミルナレースクラブを設立、パラディソ(現シリンイェル競馬場)で近代競馬を開始する[1][2]。
1863年、オスマン帝国の首都イスタンブールで最初の競馬が開催される[2]。
1878年、露土戦争の敗戦によりイスタンブールにおける競馬開催が停止[2]。
1909年、オスマンジョッキークラブが設立されるが[1]、政治的混乱により数か月で解散[2]。
1912年、イスタンブールにヴェリエフェンディ競馬場が開設される[2]。
1913年、競馬の開催主体としてスィパーヒー協会騎手クラブと血統改良協会が設立される[1]。
1914年、オスマン帝国が第一次世界大戦に参戦し、競馬の開催が中断される[1]。
1920年、アンカラ政府がアンカラで競馬を開催[1]。
1922年、イギリス資本のマクリキョイレーシングシンジケートが競馬開催権を獲得し[1]、最初のサラブレッドを導入する[2]。
1923年、マクリキョイレーシングシンジケートの競馬開催停止。以後は馬主や企業により競馬が開催される[1]。
1926年、家畜改良法が制定され、競馬と馬産の統括団体として高等競走改良委員会が設立される[1]。
1927年、高等競走改良委員会統括による競馬開始。第1回ガジ賞(ガジダービー)が行われる[1]。
1936年、首都アンカラの中心部にアンカラ競馬場が開設される[2]。
1948年、高等競走改良委員会が廃止され、臨時競馬委員会が設立される[1]。
1950年、民間団体としてトルコジョッキークラブが設立される[1][2]。
1953年、競馬法が制定され、トルコジョッキークラブが政府からの権限委任により合法化された馬券発売を伴う競馬開催を開始[1][2]。
1962年、アダナ・イェシロバ競馬場開設[3]
1979年、アンカラ競馬場休止[2]。
1984年、ブルサ・オスマンガズィ競馬場開設[3]。
1990年、検疫による外国馬の入国規制が緩和され、国際競走を開始[4]。
1991年、国際競走を集中開催するインターナショナルレーシングフェスティバルを開始[5]。
1998年、アンカラ75年競馬場開設[3]。
2000年、シャンルウルファ競馬場開設[3]。
2002年、エラズー競馬場開設[3]。
2008年、国際セリ名簿基準書のパートII国への昇格が決定[6]。
2009年、ディヤルバクル競馬場開設[3]。
2013年、カルテぺ競馬場開設[3]。
2022年、アンタルヤ競馬場開設[3]。
特徴
競馬法では、トルコの国内で競走を主催し、国内外で施行される競走に関する勝馬投票(馬券)を受け入れる権限は農業森林省にある(第1条)。農業森林省は、馬の生産と改良を促進するために設立され、公益法人と認められている団体に対し、大統領決定に基づいて条件を付して30年以内の期間で権限を委任することができる(第5条)とされている。また、農業森林省は、権限委任の対象外となっている地域で地元の地方自治体を通じて競馬を開催して馬券を発売できる(第6条)が、2023年現在はこの規定に基づく地方競馬は行われていない。馬券から控除された金額から国税、地方税、賞金、競馬場設置運営費、競走運営費を除いた金額は、繁殖馬の購入、競馬や馬事の発展に必要かつ有益とみなされる奨励金、施設整備費、補助金に充てられる(第3条)。
ただし、2023年現在、競馬を開催し馬券を発売することのできる権限のライセンス権は、2018年1月1日から49年間の期限でエルドアン政権が国営企業の経営を束ねるために設立した政府系ファンドのトルコ・ウエルス・ファンド(TWF)に移譲されており、農業森林省はライセンスに基づく競走と馬券発売が適切に行われることを監督する権限のみを有する(附則第2条)[8][9]。
農業森林省による競馬開催の監視は、同省の常任委員会である高等裁決委員会(トルコ語: Yuksek Komiserler Kurulu)によって行われており、競馬場ごとの競走裁決委員会(トルコ語: Yar?? Komiserler Kurulu)は高等裁決委員会に属する国家機関である[10][11]。 2023年現在、全国の主要10都市にある競馬場で毎日(1日ごとに2場。まれに1場または3場)、サラブレッドとアラブ(純血アラブ)の平地競走が開催されている[12]。
競走