他大学・研究機関にある同じ名前のカレッジについては「トリニティ・カレッジ」をご覧ください。
トリニティ・カレッジ
英: Trinity College
紋章解説: オーアとアジュールのパーティ・パー・ペイルで、3頭のグリフィン頭部の間に描かれたシェブロンには、ぎざぎざのフルール・ド・リスが置かれ、半分で色違いに配置されている[1]
大学オックスフォード大学
所在地オックスフォード、ブロード・ストリート
トリニティ・カレッジ(英: Trinity College、全称:The College of the Holy and Undivided Trinity in the University of Oxford, of the foundation of Sir Thomas Pope[3])は、イングランド・オックスフォード大学を構成するカレッジ(英語版)の1つである。1555年にトーマス・ポープ(英語版)によって、ダラム大聖堂にいたベネディクト会の僧侶が家にしていたダラム・カレッジ(英語版)の旧所在地に建てられた[4]。カレッジは現存する中で14番目に古い[5]。
カレッジの敷地は広いが、在籍する学生は400人ほどと比較的小さなカレッジである。2013年7月の段階で、トリニティ・カレッジには1億420万ポンド余りの基金があった[6]。カレッジは3人のイギリス首相を輩出しており、この数字はベリオール・カレッジと並んで2位である[7]。
2017年8月には、王立ウェールズ音楽演劇大学(英語版)の前学長だったヒラリー・ボールディング(英語版)が、アイヴァー・ロバーツ(英語版)の後を引き継いで28代目学寮長に就任した[8][9]。
歴史
トリニティ・カレッジ創建ダラム中庭詳細は「ダラム・カレッジ (オックスフォード)(英語版)」を参照
トリニティ・カレッジの現在地は、元々、ダラム大聖堂のベネディクト会僧侶が13世紀後半に創設した、ダラム・カレッジ (オックスフォード)(英語版)の跡地である[4]。カレッジは、ひとつの中庭をぐるりと取り囲むように建てられ、中庭は現在も「ダラム・クワドラングル」(ダラム中庭の意味、英: Durham Quadrangle)として現存している[10]。また、ダラム中庭の東側にあるオールド・ライブラリー(英: the Old Library)を含む1棟は、ダラム・カレッジが1417年から1421年に建てた図書館を流用したものである[11][12]。創立直後、1566年のトリニティ・カレッジを北から望んだ図
ダラム・カレッジの土地は、王室によって1545年に没収された。1553年にはエドワード6世が、旧ダラム・カレッジの建物と敷地の大半を、ゴッドストウ(英語版)のジョージ・オーウェン博士(英: Dr George Owen of Godstow)と、オックスフォードのウィリアム・マーティン(英: William Martyn of Oxford)に下賜した。2年後の1555年2月20日(当時の暦では1554年2月20日)、オーウェンとマーティンは自力出世した政治家のトーマス・ポープ(英語版)に売却した。トーマス・オードリー (初代ウォルデンのオードリー男爵)(英語版)の遺言実行者だったポープは、ケンブリッジ大学のモードリン・カレッジ創設や、現在大学の図書館・食堂・就寝区画があるブロード・ストリート(英語版)に位置する小区画の建設にも深く関与した[4]。政治的状況もポープにとって好都合であり、新しく王位に就いたメアリー1世は、オックスフォードをカトリック研究の場所として再興することに大きな関心を持っていた。メアリーの影響力を得たほか、裕福だったが子どもがいなかったポープは、カレッジの創設に家族の名前を残すことができるという可能性を見ていた。1555年3月8日、ブロード・ストリートの土地を取得した16日後に、ポープは王室からカレッジ創設の特許状を得た[4]。
カレッジの名前は "The College of the Holy and Undivided Trinity in the University of Oxford, of the Foundation of Thomas Pope"(意味:トーマス・ポープが創設した、オックスフォード大学の神聖にして不可分の三位一体カレッジ)となり、ここでは新しい(カトリックの)創設が高らかに謳われている[4]。ダラム・カレッジは聖母マリア、聖カスバート(英語版)、三位一体(トリニティ)に捧げられていたので、カレッジの名前はここから取られたのだと考えられている[4][13][14]。