トリックス
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「トリックス」のその他の用法については「トリックス (曖昧さ回避)」をご覧ください。
トリックスの鉄道模型

トリックス (TRIX、TRIX Modelleisenbahn GmbH & Co KG ) は、かつてドイツにあった独立した模型・玩具メーカーであり、現在はメルクリン傘下の鉄道模型メーカー・ブランドである。
概要

1838年にドイツのフュルトにおいてヨハン・ハフナーによって創業された玩具メーカーであったが、1880年代以降におこった買収や合併を経て1950年にトリックスと社名変更された。

1997年にメルクリン傘下に入り、現在はメルクリンにおいて直流二線式のHOゲージ鉄道模型ブランドとなっている。メルクリン傘下ではあるものの、メルクリンの商品展開とは一線を画した展開も行っている。Nゲージ鉄道模型はミニトリックス (Minitrix ) のブランド名で展開されている。

かつてはメカノのような金属製組み立て玩具や、モールス電信機、テープレコーダー、ラジオ受信機スロットカーなども製造していた。
歴史
黎明期

1838年、ニュルンベルク近郊のフュルトにおいて、ヨハン・ハフナー (Johann Haffner 、1813 - 1874年) によって同名の玩具メーカーとして創業された。当初は主に鉛のフィギュア (スズの兵隊) を販売していた。1874年にヨハンが死去すると息子のコンラート・ハフナー (Conrad Haffner ) が後を継ぎ、「ヨハン・ハフナーの後継者」 (Johann Haffner Nachfolger ) と改名された。1892年にアルブレヒト・クリスチャン・アレクサンダー・ヴィルヘルム・ステッドラー (Albrecht Christian Alexander Wilhelm Stadtler ) が「ヨハン・ハフナーの後継者」を継いだ。

1898年、ビングの創業者の一人であるアドルフ・ビング (Adolf Bing ) の息子のオットー・ビング (Otto Bing ) に売却され、1902年には実業家のマックス・アーランガー (Max Erlanger ) が「ヨハン・ハフナーの後継者」を継いだ。

1910年、マックスはブリュッセル万博に大型のスズの兵隊フィギュアを出品しグランプリを獲得した。

1920年、マックスは兄弟のダヴィット・アーランガー (David Erlanger ) とともにニュルンベルクのアンドレアス・フェルトナー(Andreas Fortner ) の会社 (ANFOE) に出資し、「アンドレアス・フェルトナー合名会社」 (Andreas Fortner OHG ) とした。トレードマークはANFOEのものを引き継いだ。「ヨハン・ハフナーの後継者」は同年秋のライプツィヒ展覧会に第一次世界大戦後初めて精巧な兵士や動物のフィギュアを出品した。

1922年、アンドレアスが死去したため「アンドレアス・フェルトナー合名会社」からアンドレアスの名が外され、1925年、「アンドレアス・フェルトナー合名会社」と「ヨハン・ハフナーの後継者」は合併し、「合同玩具工場 アンドレアス・フェルトナー & J・ハフナーの後継者 株式会社」 (Vereinigte Spielwarenfabriken Andreas Fortner & J. Haffner Nachfolger AG ) となった。所有者はマックスとダヴィットで、法務顧問はミヒャエル・アーランガー (Dr. Michael Erlanger ) 、弁護士はミュンヘンのマックス・バウアー (Dr. Max Bauer ) であった。

1928年に株を公開し、「合同玩具工場 アンドレアス・フェルトナー & J・ハフナーの後継者 有限責任会社」 (Vereinigte Spielwarenfabriken Andreas Fortner & J. Haffner Nachfolger GmbH ) となった。財政危機によりビングを退いたシュテファン・ビング (Stefan Bing ) が株の74%を買占め、残りをヘルマン・オッペンハイム (Hermann Oppenheim ) とジークフリート・カーン (Siegfried Kahn ) が買い、1929年4月にニュルンベルクのコーベルガー通り (Kobergerstrase ) 15番地の元家具工場へ移転した。
発展期

シュテファンとジークフリートはそこでメカノに似た金属製の組み立て玩具を計画し、1930年9月には「TRIX (トリックス) 」の商標で特許をとり、1931年8月にトリックス・メタルバウカステン (Trix-MetallBaukasten ) の名称で市場に投入した。メカノでは、基本的な平板棒部品に1列にしか穴が開いていなかったのに対し、「トリックス・メタルバウカステン」では3列の穴が開いていた。トリックスの名前の由来はここにある。メカノと並びヨーロッパ全体でトリックスの商標で販売され有名になった。これは1998年まで製造された。

1931年、シュテファンの息子のフランツ・ビング (Franz Bing ) がロンドンのゴールドレーン4番地に「トリックス社」 (Trix Ltd. ) を設立し、1932年2月にはロンドン市場で株を公開した。同年、「合同玩具工場 アンドレアス・フェルトナー & J・ハフナーの後継者 有限責任会社」ではジークフリートが社長に就任し、マックス・アーランガーは経営責任者となった。

1932年からシュテファンとジークフリートは鉄道模型の開発をはじめ、1934年にトリックス・エクスプレス (TRIX EXPRESS ) を開発した。トリックス・エクスプレスは、シュテファンがビング 時代に製造していたビング卓上鉄道 (Bing Tischeisenbahn ) を基礎として、交流14ボルト三線式・縮尺1/87・軌間16.5mmのOOゲージを採用した。

1935年3月、ライプツィヒの展覧会にOOゲージのテンダー式の機関車 (品番20/51) などが出品された。秋のライプツィヒの展覧会ではメルクリンが同様のOOゲージを出品した。イギリスのトリックス社では、トリックス・エクスプレスの製品はイギリス風に塗られ、ヘンリー・グリーンリーの助言によりTRIX-TWIN-RAILWAYを略した「TTR」ブランドで展開され、アメリカへも輸出された。

1936年、NSDAPによるニュルンベルク法によって、ユダヤ人であったシュテファンは会社を退き、「合同玩具工場 アンドレアス・フェルトナー & J・ハフナーの後継者 有限責任会社」はアーリア人のエルンスト・フェルク (Ernst Voelk ) に買収された。1938年にはジークフリートが解任され、エルンスト・フェルクが1935年に買収していた、ニュルンベルクの玩具メーカー「ヨハン・ディスラー合資会社」 (Johann Distler KG ) に引き継がれた。同年6月、シュテファンとジークフリート、ヘルマンはバセットロークの協力でイギリスへと渡った。トリックス社のTTRはイギリスで独自に展開されるようになった。1939年にはマックス・アーランガーが南米へと渡った。

1940年のクリスマスシーズンにタンク式機関車 (品番20/56) を発売した後、第二次世界大戦の影響で1941年にはトリックス全体で玩具・模型の製造が中断された。

第二次世界大戦中、トリックスの工場では戦時物資のモールス電信機や野戦電話などが製造されていた。当時のニュルンベルクは交通や産業の要衝であったことなどから、早期に連合国の攻撃目標にリストアップされていた。1943年、玩具や模型の製品や図面をニュルンベルク・コーベルガー通りの工場内の金庫に保管し、戦時物資はニュルンベルク郊外に新たに作られた工場で製造されるようになった。しかし1945年春の空襲によりコーベルガー通りの工場は灰燼に帰し、金庫内に保管されていた図面も焼失したため再開は困難を極めた。
復興期

戦後すぐの期間はアメリカ向けに日用品などを製造し、1948年に自社製品であるトリックス・エクスプレスやトリックス・メタル・バウカステンの生産が再開された。通貨改革があったものの同年のクリスマスシーズンには非常に高い利益をあげ、スイスやオランダなどへも輸出し、1949年には生産は戦前のレベルまで復旧した。しかしながら従来製品の生産で精一杯だったため、新製品を開発できなかった。

1948年、トリックス社のフランツ・ビングや、ヘルマン・オッペンハイムらの旧経営者が、エルンスト・フェルクに対して会社資産の返却を求め裁判を起こした。1949年、会社資産の51%をトリックス社と旧経営者が持ち、49%をエルンスト・フェルクが持つこととなった。1950年には「合同玩具工場 アンドレアス・フェルトナー & J・ハフナーの後継者 有限責任会社」は「トリックス社」と提携し、「トリックス 合同玩具工場 有限責任会社」 (TRIX Vereinigte Spielwarenfabriken GmbH ) となった。


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