トラヤヌスの記念柱
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トラヤヌスの記念柱
Columna Traiana
(Colonna Traiana)

所在地皇帝たちのフォルム
建設時期113年
建設者第13代皇帝トラヤヌス
建築様式ローマの記念柱
関連項目トラヤヌスのフォルム
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トラヤヌスの記念柱(トラヤヌスのきねんちゅう、ラテン語: Columna Traiana、イタリア語: Colonna Traiana)は、イタリアローマにあるモニュメントの1つで、ローマ皇帝トラヤヌスダキア戦争での勝利を記念したものである。この柱は、元老院の依頼により、建築家ダマスカスのアポロドーロスの指揮で建設されたと言われている。位置はフォルム・ロマヌムの北、クイリナーレの丘付近に建設されたトラヤヌスのフォルムに所在する。113年に完成した独立した円柱で、ローマとダキアの間の戦争(101年 - 102年、105年 - 106年)を叙事詩的に描いたフリーズレリーフ)が円柱の表面に螺旋状に描かれていることでよく知られている。そのデザインは後の様々な記念柱で模倣されることになった。
全体的な構造

柱の高さは約30メートルで、巨大な台座を加えると全高約38メートルにもなる。カッラーラ産の、1つ40トンの重量がある巨大なドラム形の大理石(直径3.7メートル)を20個積み重ねてできている。柱を螺旋状に23回まわっているフリーズは190メートルの長さがある。円柱の内部には185段の階段があり、頂上の展望台まで登ることができるようになっていた。柱頭ブロックは53.3トンもあり、地上から約34メートルの高さに置かれている[1]

古い硬貨には、この柱の、当初予定されていた計画図が描かれており、タカと思われる鳥の彫像が円柱の頂上に描かれている[2]。しかし実際には、トラヤヌス帝の彫像が代わりに置かれた。この彫像は中世期に失われた。1587年12月4日シクストゥス5世の命により聖ペトロの像をこの記念柱の頂上に置くようになり、現在もその像が載っている[3]
フリーズ(帯状彫刻)古代ローマのカロバリスタ。台車上にバリスタを設置したもの(レリーフの一部)

連続的なレリーフは下から上まで円柱の表面を回りながら続いている。このレリーフはトラヤヌス帝が勝利した2度のダキア遠征を描いたもので、下半分は1回目の遠征(101年 - 102年)、上半分は2回目の遠征(105年 - 106年)が描かれている。

2つの部分の間の区切りには勝利を人格化した女神ウィクトーリアを描き、その前後に戦利品を描いている。他の部分は斜めに徐々に上がっていく形で継続的に光景を描いている。彫刻家は遠近法にほとんど注意を払っておらず、図像は写実的ではない。同じ出来事を様々な視点から描いており、例えば城壁の裏側で同時に何が起きていたかといったことも描いている。

多くはローマ軍がダキア軍と交戦する光景であり、他にも要塞を建設する光景や、皇帝が軍団を前に演説する光景、勝利した皇帝などを描いている。船員、兵士、政治家、神官など総勢2,500人の人間が描かれており、要塞や船や武器なども描かれているため、歴史家にとっては当時の戦争についての貴重な知識を提供してくれる。例えばこのレリーフではバリスタまたはカタパルトと思われるものも詳細に描かれている。トラヤヌス帝は写実的に描写され、軍団に混じって全部で59回描かれている。
螺旋階段台座部分の図。上の断面に内部の階段が見える。

トラヤヌスの記念柱の内部は中空になっている。台座の1つの面に小さな入口があり、185段の螺旋階段を登ると上の展望台に出ることができ、周囲を見渡すことができる。43箇所に明かり取り用のスリットがある[4]

地面から頂上の彫像の天辺までの高さは38.4メートルである[5]。すぐ隣にはかなり背の高いバシリカ・ウルピアがあったため、展望台の眺めを確保し、フォルムの見た目の印象を強くするためには記念柱をそれより高くする必要があった[6]。台座と、彫像と、彫像の台座を除いた柱本体の高さは29.76メートルであり、この数字はほぼ100ローマンフィートにあたる。螺旋階段は土台の床面から始まっており、その全高はこの数字より8センチメートルほど少ない[7]

記念柱は全部で29個の大理石でできており、総重量は1100トン以上もある[5]。螺旋階段はそのうち19個のブロックをくり抜いてできており、14段で一周する。一般に螺旋階段は12段や16段で一周させると1段の幅が幾何学的にわかりやすいが、この記念柱の段数はその中では変則的といえる[8]。造りは極めて精巧で、各段の高さはほぼ同じであり、大理石ブロックの継ぎ目も正確である[9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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