この項目では、シュラクサイの僭主について説明しています。その他の用法については「トラシュブロス」をご覧ください。
トラシュブロス(ギリシャ語:Θρασ?βουλο?)は、紀元前466年から紀元前465年にかけて、11ヵ月[1]にわたりシュラクサイの僭主であった人物である。彼はデイノメネス家の一員で、デイノメネスの息子、そして前の僭主ゲロン及びヒエロン1世の弟であった。ゲロンの息子に対して、シュラクサイの僭主となることを諦めるよう説得して権力を手に入れたが、その数ヶ月後にデイノメネス家によって打倒された。続いてデイノメネス家も打倒され、シュラクサイで民主制が確立された[2]。
出典^ Aristotle's The Politics 5.1315b
^ Aristotle's The Politics 5.1312b
関連項目
シュラクサイの僭主の一覧
前任:
ヒエロン1世シュラクサイの僭主
紀元前466年– 紀元前465年後任:
民主主義
次の僭主は、紀元前405年
ディオニュシオス1世