トラウト・マスク・レプリカ
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『トラウト・マスク・レプリカ』
キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドスタジオ・アルバム
リリース1969年6月16日
1969年11月
録音1968年8月
サンセット・サウンド・レコーダーズ
1969年3月
ホイットニー・スタジオ、グレンデール、カリフォルニア州
ジャンルアヴァンギャルドアート・ロックブルース・ロック、プロト・パンク、サイケデリック・ロック実験音楽フリー・ジャズスポークン・ワード
時間78分51秒
レーベルストレイト・レコードリプライズ・レコード
プロデュースフランク・ザッパ
専門評論家によるレビュー


Allmusic link

Rolling Stone link

チャート最高順位

21位(イギリス)[1]

キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンド アルバム 年表

ストリクトリー・パーソナル
(1968年)トラウト・マスク・レプリカ
(1969年)リック・マイ・デカルズ・オフ、ベイビー
(キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンド)
(1970年)

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トラウト・マスク・レプリカ (Trout Mask Replica) は、ドン・ヴァン・ヴリートが率いるキャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンド[注釈 1]1969年に発表した3作目のアルバムである。プロデュースはフランク・ザッパが担当した。発表当時は、2枚組のLP盤で発売された[2]
背景

キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドはデビュー当初から所属レーベルに頭を悩ませてきた。1966年、彼等はA&Mレコードからデビュー・シングル'Diddy Wah Diddy'と2作目のシングルを発表した[注釈 2]が、いずれもヒットしなかったので契約を打ち切られてしまった。1967年9月、ブッダ・レコードから、ボブ・クラスナウとリチャード・ペリーが共同でプロデュースしたデビュー・アルバム『セイフ・アズ・ミルク』を発表し[注釈 3]、10月から11月にかけて、It Comes To You In A Plain Brown Wrapperと名付けた新作アルバムをクラスナウのプロデュースにより制作した。しかし、ブッダ・レコードは、新作アルバムの企画を中止して、音源を全てお蔵入りにした[注釈 4][3]。そしてバブルガム・ポップを商売の要とする方針を固めて、1968年2月に彼等との契約を解除した[4]

クラスノウは、ブッダ・レコードが差し押さえた音源に代わるものを彼等に新たに録音させて、自分が設立したブルー・サム・レコードから発表することにした。彼等は同年4月から5月にかけての8日間、クラスノウのプロデュースにより、新たな録音を行なったが、十分なリハーサルなしに短期間で作業を行なったので、ヴァン・ヴリートやメンバーは出来栄えには満足しなかった[注釈 5][5]
経緯

1968年、ヴァン・ヴリートの高校時代の同級生[注釈 6]でキャプテン・ビーフハートの名が誕生するきっかけ[6][注釈 7]を作ったフランク・ザッパは、ビザール・レコードとストレイト・レコードという2つのレーベルを設立した[注釈 8]。ザッパは所属レーベルに苦しめられてきたヴァン・ヴリートに、ストレイト・レコードに移籍して完全に自由な環境の中で芸術活動を行なうことを勧めた。ヴァン・ヴリートは旧友の勧めに従って、クラスノウやブルー・サム・レコードと決別した[7]。同年8月、キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドはサンセット・サウンド・レコーダーズで、ヴァン・ヴリート、ジェフ・コットン[注釈 9](ギター)、ビル・ハークルロード[注釈 10](ギター)、ジョン・フレンチ[注釈 11](ドラムス)の正式メンバーと、一時契約したゲイリー・"マジック"・マーカー[注釈 12](ベース・ギター)の顔ぶれで、ザッパをプロデューサーに迎えて、'Moonlight on Vermont'と'Veteran's Day Poppy.を録音した。

同年10月、一時契約を結んでいたマーカーが辞め、代わりにマーク・ボストン(ベース・ギター)が正式メンバーとして加入した。さらにヴァン・ヴリートの従兄弟にあたるヴィクター・ヘイデンバスクラリネット)が客演者として帯同した。
制作

ヴァン・ヴリートらはロサンゼルス郊外にあるウッドランド・ヒルの小さなレントハウスに集団で暮らして[注釈 13]、ヴァン・ヴリートが作った難曲を録音する為に1日12時間のリハーサルを8ヶ月に渡って行った。彼はほとんどの楽曲を今までに試みたことのない方法で作曲した。演奏経験のないピアノを使用したのである。彼は従来の音楽に関する知識をまったく持ち合わせていなかったため、経験のないピアノを使用することによって既存の音楽の枠組みや構造から逸脱した形で作曲を行うことが出来た。彼は直感だけを頼りに、気に入ったリズムやメロディのパターンを発見するまでピアノの前に座った。

以前のアルバム制作では、ヴァン・ヴリートがフレーズを口笛や歌で表現して、それをフレンチがテープに録音していたが、彼には一部を手違いで消去してしまってヴァン・ヴリートに大いに叱られた苦い経験があった。そこで今回は、ヴァン・ヴリートがピアノで叩き出すフレーズをすべて記譜し、その楽譜のとおりに演奏してヴァン・ヴリートに聞かせることにした[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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