トヨタF1
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トヨタF1
エントリー名パナソニックトヨタ・レーシング
Panasonic TOYOTA Racing
チーム国籍 日本
チーム本拠地 ドイツノルトライン=ヴェストファーレン州ケルン
主なチーム関係者 冨田務
山科忠
木下美明
新居章年
オベ・アンダーソン
ジョン・ハウエット
パスカル・バセロン
フランク・ダーニー
ルカ・マルモリーニ
マイク・ガスコイン
グスタフ・ブルナー
アンドレ・デ・コルタンツ
ヨルグ・ザンダー
主なドライバー ミカ・サロ
アラン・マクニッシュ
オリビエ・パニス
クリスチアーノ・ダ・マッタ
リカルド・ゾンタ
ヤルノ・トゥルーリ
ラルフ・シューマッハ
ティモ・グロック
小林可夢偉
撤退後ステファンGP(F1不参戦)
F1世界選手権におけるチーム履歴
参戦年度2002 - 2009
出走回数140
コンストラクターズ
タイトル
0
ドライバーズ
タイトル
0
優勝回数0
通算獲得ポイント278.5
表彰台(3位以内)回数13
ポールポジション3
ファステストラップ3
F1デビュー戦2002年オーストラリアGP
最後のレース2009年アブダビGP
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トヨタ
(エンジンサプライヤーとしての記録)参戦年度2002年 - 2009年[1]
F1デビュー戦2002年オーストラリアGP
最後のレース2009年アブダビGP
出走回数140
搭載チームトヨタ、ジョーダンミッドランドウィリアムズ
コンストラクターズ
タイトル
0
ドライバーズ
タイトル
0
優勝回数0
表彰台(3位以内)回数17
通算獲得ポイント384
ポールポジション3
ファステストラップ4
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トヨタF1(TOYOTA F1)は、日本トヨタ・モータースポーツ(TMG)が運営したF1コンストラクター。2002年平成14年)から2009年(平成21年)までF1世界選手権に参戦した。レーシングチームの正式名称は「パナソニック・トヨタ・レーシング」(Panasonic TOYOTA Racing) 。母体は自動車メーカー「トヨタ自動車」。
概要

ドイツケルントヨタ・モータースポーツ有限会社 (Toyota Motorsport GmbH、TMG) を母体とし、2000年(平成12年)に発足した。なおF1チームの国籍登録は日本としており、日本人技術者は2005年時点で30人強が派遣されていた[2]

自作のシャシーでF1に参戦する日本国籍のコンストラクターとしては、1960年代のホンダ、1970年代のマキコジマに続いて4チーム目となる。さらにエンジンを含め、車体全てを自作するフルコンストラクターとしては、ホンダに続く2例目となる。F1マシンの設計・製作・メンテナンスはTMGが行い、中長期的な研究開発 (R&D) は日本の静岡県にあるトヨタ東富士研究所が担当した。他にフランスマルセイユ近郊のル=キャステレにあるポール・リカール・サーキットをテストコースとして使用していた。

2002年(平成14年)開幕戦よりF1に参戦し、2009年(平成21年)最終戦後に撤退を表明した。8年間の活動における決勝レースの最高成績は2位(5回)、予選ではポールポジション3回を獲得。コンストラクターズ順位は最高4位(2005年)だった。日本のF1コンストラクターでポールポジションと表彰台を獲得できたのはホンダとトヨタのみである。一方でトヨタは2位には何度か上がりながら、優勝にだけは手が届かなかった。
歴史
参戦決定までの経緯

トヨタのヨーロッパにおけるレース活動としては、世界ラリー選手権 (WRC) においてトヨタのワークス・チームであったトヨタ・チーム・ヨーロッパ (Toyota Team Europe、TTE) が1972年昭和47年)から1999年(平成11年)までの28年間世界ラリー選手権に参戦し、日本車メーカー史上初を含むドライバーズタイトル4回(1990年1992年1993年1994年)、マニファクチャラーズタイトル3回(1993年・1994年・1999年)を獲得する活躍を見せていた。またTTE以外では、関連会社のトムスと組んで、1985年から1992年までル・マン24時間レーススポーツカー世界選手権に参戦するなど幅広い活動を行っていた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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