トヨタ・GR86
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、2012年に登場した「86」および、2021年に登場した「GR86」について説明しています。

1983年から1987年まで生産されたAE86型カローラレビン/スプリンタートレノについては「トヨタ・AE86」をご覧ください。

トヨタ・86
トヨタ・GR86
2代目 GR86(ZN8型)
概要
製造国 日本 群馬県太田市
販売期間2012年 -
ボディ
ボディタイプ2ドアクーペ
駆動方式後輪駆動
その他
姉妹車スバル・BRZ
テンプレートを表示

86(ハチロク)は、トヨタ自動車SUBARU(旧・富士重工業)と共同開発したスポーツカー[1]スバル・BRZとは姉妹車の関係にある。

本項では便宜上、2021年に発売された2代目モデルとなるGR86(ジーアール ハチロク)についても記述する。
開発の経緯

86はスバルとの共同開発車であり、開発技術は両社から持ち寄られており、費用も両社で折半されている[2]。当初は車両コンセプトやパッケージングの企画策定と内外全体デザインはトヨタ、細部設計と確認作業はスバルという分担がなされたが、基本的には両社開発陣の合議のもとに開発が進められた。本プロジェクトの企画立案者で、トヨタ側の開発責任者となる86の開発主査(チーフ・エンジニア、CE)は多田哲哉である[3]

2000年代半ば、トヨタ社内ではスポーツカーの企画は毎年提出されていたが、投資効率が悪いという理由で毎回却下されていた[3]。しかし、社内で若者の車離れに対する危機感が深刻になると、2007年1月にトヨタ全役員を集めた対策会議が開かれて安価なスポーツカーを開発することが決定した[3]。これには当時営業担当副社長であった豊田章男の「技術部門が本当にいいスポーツカーを作るんだったら、営業部門は四の五の言わない」「今やる」という声が決め手になったという[4]。そして同年3月、初代パッソ、初代ラクティス、2代目ウィッシュなどの開発主査を歴任した多田に加え、入社以来AE86を10年以上愛車にしていた年下の技術者の2人が新しいスポーツカーの担当に任命されたことで、本プロジェクトの企画立案が開始された。86の開発コードは「086A」だが、これはそのAE86好きの部下が社内を駆け回って手に入れたもので、開発者が好きな社内コードを取ることはトヨタでも極めて稀であった。ラクティスの開発時に「これでワンメイクレースをやりたい」と公言していた多田は、念願のスポーツカー作りということで大いに喜んだが、売上数の少ないスポーツカー部門は当時の社内では日陰者扱いされており、上司に「腐らず頑張れ」と声をかけられたという[5]

多田は日本各地やアメリカなど海外のミニサーキットやチューニングショップ、社内や同業者の車好きの元へと赴き、世界中のスポーツカー愛好家たちの声を聞いた。すると、当時各社が競い合って開発していたハイテク制御、ハイグリップタイヤ、四輪駆動ターボを装備した高価なスポーツカーよりも、軽く安く改造しやすく運転しやすい、かつてのAE86のような車、極論すると「遅いスポーツカー」が求められていることに気づいた。多田はその構想を突き詰めていき、最終的に「排気量2リッター。FRでコンパクト。超低重心で手ごろな価格のスポーツカー」[6]が最も妥当であるという結論に達した。また、世界中の自動車愛好家から「かっこいいスポーツカーが欲しい」といわれていたが、多田はそれは「低い車」であると考え、FRで低いスタイリングを実現できるエンジンをトヨタで探し回った。しかし結局見つからず、そのうち低さを実現するために水平対向エンジンを用いることを思いついたという。なお、ミッドシップにすればトヨタのエンジンでも想定の低さは実現可能であったが、その分運転が難しくなり「誰でも楽しめるスポーツカー」にはならないと考えて、FRにこだわった[7]

一方、トヨタとスバルは同時期に始まった資本提携を生かすべく様々なプロジェクトを模索しており、そこにちょうど多田のプロジェクトのニーズ(低いスポーツカーの実現に水平対向エンジンを用いたい)が合致。2007年中に外観はレガシィのまま、水平対向4気筒エンジンを搭載した低重心FRの試作車が製作され、商品化した場合の採算性の検討も始まった[8]。翌2008年初頭にはスバル側の開発責任者に増田年男が任命され、同年4月にトヨタとスバルは共同記者会見を開いて共同開発を正式に発表し、本格的に開発が始まった[8]

スバル側の開発陣は当初、同社のお家芸である四輪駆動とターボを用いない水平対向スポーツカーという構想に強い難色を示していたが、前述のレガシィを用いた試作車が予想以上に運転が楽しいことを発見したことで許可が下りた[9]。また、自然吸気の4気筒エンジンで200馬力という出力を実現するために、2005年にトヨタが開発したばかりの直噴・ポート噴射併用技術『D-4S』をスバル側に開放して水平対向エンジンと組み合わせようとすると、トヨタの技術者からはもちろん、水平対向にプライドを持つスバル側からも強い反発を受けた。しかしこれも試作でいきなり196馬力という目標に近い数値を達成すると、お互いの技術力を認め合う空気が漂い、以降の開発が円滑になったという[10]。このようにトヨタとスバルの両開発陣はたびたびの衝突を経つつも、最終的にはお互いをリスペクトしあう形で開発は進められた。

嗜好性の高いスポーツカーを開発するため、、“Built by passion, not by committee!”(合意してつくるのではない、情熱でつくるんだ!)というスローガンが掲げられ、通常のトヨタの開発手法とは異なる意思決定の仕組みが採用された[11][注釈 1]。例えば従前の車両スタイリングでは、役員営業工場などの各部門の承認が必要な社内評価制度があるが、86の開発では多田が社長の豊田章男に要望を出し、社内のスポーツカーユーザー200名の意見を取り入れながら少人数で決定した[12]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:297 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef