トヨタ・トヨエース
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トヨエース(Toyoace)は、トヨタ自動車2020年まで販売していた小型トラック

1954年トヨペット・ライトトラックSKB型として登場し、1956年にトヨエースの愛称が付いた。以来、60年以上にわたりトヨタの小型トラック主力車の一つとして販売された。

由来は「TOYOTA」と「Ace(第一人者、最も優れた者、切り札)」からの合成語。20万通の応募(公募)の中から決めた。
概要

太平洋戦争後、日本の小型トラック分野で主流であったオート三輪に対抗する廉価な四輪小型トラックとして開発され、小口物流トラック市場をオート三輪から四輪トラックへ転換させるきっかけとなった画期的なモデルである。当時の日本の自動車販売はトラック市場がほとんどであったため、これは日本の自動車業界にとって非常にセンセーショナルな出来事であった。

1985年(昭和60年)登場の5代目モデルからはダイナ(2 t積み1959年 - )と双子車となる。トヨエースは長らく1 tクラスのみの構成だったが、これにより2 - 3 tクラスもバリエーションに加わるようになった。2 t積みにはダイナ同様、ハイエースなどに比べて車両総重量の大きなルートバンも設定され、装甲などの特殊装備で重量が増す現金輸送車などでも十分な積載慮を確保できるようになった。
この5代目では、他にも姉妹車として、ハイエーストラック2001年まで)、ダイハツ・デルタ2003年まで)、日野・レンジャー2/3(後にデュトロに改称)が加わった。

1999年平成11年)以降は日野自動車との共同開発となり、2 t積以上の車種に関しては日野よりOEM供給を受ける形となり、2021年(令和3年)7月以降は1 t積クラスも日野へ移管され、ダイナ/トヨエースの全てが日野製となった。

1954年(昭和29年)9月に登場した初代となるSKB型は、2024年令和6年)時点で現存する日本車のモデルシリーズの中では、同社のランドクルーザー1951年〈昭和26年〉8月登場)の4代73年に次ぐ8代70年の歴史を持ち、これは同社の代表的乗用車であるクラウン1955年〈昭和30年〉登場・14代69年)よりも長い。また、愛称の命名順でも、ランドクルーザー(1954年〈昭和29年〉6月)の70年やクラウンの69年に次ぐ、68年(1956年〈昭和31年〉7月命名)という長寿モデルである。

トヨエース以後、トヨタにおいて小型のキャブオーバートラック/ワンボックスバン及びその派生車種の多くはトヨエースに倣い、ハイエースなどのように「○○エース」と命名されている。
歴史

トヨタ自動車は、1947年に自社初の小型トラック「トヨペット・SB型」(1,000cc・1トン積み)を発売し、小型トラック市場に参入した。競合する先行メーカーの日産ダットサン高速機関工業・オオタが、戦後の小型トラック製造再開に際し、戦前型のエンジンを拡大して戦後型モデルに搭載したのに対し、戦後開発の1,000ccエンジンを搭載したトヨペット小型トラックは市場で好評を得、戦前以来の大型トラックと並ぶ、トヨタの主力製品となった。

しかし1940年代後半から1950年代にかけての日本の小型トラック市場の主力は、オート三輪トラックであった。それらは同程度の積載量(750キログラム-1.5トン)の四輪トラックよりも小回りが利き軽便で、しかも格段に廉価だったのである。

オート三輪は、戦前以来の「ビッグ3」である発動機製造(ダイハツ)東洋工業(マツダ)日本内燃機製造(くろがね)に加え、戦後の他業種参入組である中日本重工業(ブランドは「みずしま」。三菱系)愛知機械工業(ヂャイアント)三井精機(オリエント)など多数のメーカーが出現し、部分的には四輪トラックを上回る高度な技術をも取り入れながら、急激に市場を伸張させていった。

だが、1950年代初頭のオート三輪は、オートバイ同様に前方のエンジン上のサドルに運転者が跨り、前輪をバーハンドルで直接操縦する戦前以来の原始的構造で、やはりバイク並みの吹きさらしの構造から、前方風防や屋根幌を装備するレベルへとようやく発達し始めた状態であった。1952年発売の愛知機械工業・ヂャイアントAA7「コンドル」(1,200cc)が、日本の三輪トラックで初めてドア・鋼製ボディ・右側丸ハンドル完備のレベルに到達したものの、高価な上級モデルで普及せず、その他のオート三輪メーカーが片側丸ハンドルやクローズドボディを実現したのは、1950年代中期にまで遅れた。

四輪車メーカーであるトヨタ自動車工業では、たとえ廉価とはいえこのように快適性に欠け、高速安定性も良くない三輪トラックに、ユーザーは必ずしも満足はしていない、と見ていた。そこで、オート三輪よりも快適で、価格面でも対抗しうる廉価な四輪トラックを提供し、既存の小型四輪トラックに止まらず、オート三輪の巨大な市場をも攻略することを企図したのである。

折しもトヨタでは、従来の主力エンジンであった初代S型エンジン水冷直列4気筒サイドバルブ995cc、1952年時点での出力27PS / 4,000rpm )に代わって、より近代化され、排気量も拡大された強力なR型エンジン(水冷直列4気筒OHV1453cc 48PS / 4,000rpm )が開発され、1953年以降の乗用車・小型トラック用エンジンをR型に置き換える措置が採られた。

この結果、既存モデルの性能強化は実現したが、S型エンジンの生産設備は遊休化した。そこで、1950年の朝鮮特需時期に多数購入されたオート三輪が、買い換えのタイミングを迎えると見込まれる1955年を照準にして、S型エンジンを搭載した廉価な小型トラックを発売し、オート三輪対抗モデルとする着想が生まれた。

こうして開発されたのが、初代トヨエースとなる「トヨペット・SKB型」であった。
初代初代トヨペット・トヨエース。クロームメッキ部品は少なく、フロントグリルは金属板打ち抜きという簡素設計である初代トヨペット・トヨエース(リア)。当時のリアランプは、尾灯制動灯、番号灯兼用の1灯のみでよく、方向指示器も車体前方に取り付けられた一対の腕木式のみで済まされている1954年(昭和29年)に1 t積みのトヨペット・ライトトラックSKB型として登場。


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