トム・シーバー
Tom Seaver
トム・シーバー(英語: Tom Seaver, 本名:ジョージ・トーマス・シーバー(George Thomas Seaver, 1944年11月17日 - 2020年8月31日)は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州フレズノ出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。愛称は「"トム・トリフィック"("Tom Terrific")」、「"フランチャイズ"("Franchise")」。
MLBタイ記録及びギネス世界記録である10打者連続奪三振達成者[1]。 1965年のMLBドラフト10巡目(全体190位)でロサンゼルス・ドジャースから指名を受けるが[2]、契約せず。1966年1月のドラフトでアトランタ・ブレーブスから指名を受けるが、在学していた南カリフォルニア大学のルールで無効となった。結果としてブレーブスとは契約できず、大学からは出場停止処分となって身分が宙に浮く形となってしまい、ブレーブスが支払う予定だった契約金が保障されることを条件とした救済の為の特別ドラフトが行われ、抽選の結果交渉権を獲得したニューヨーク・メッツと4月3日に契約[3]。 1967年4月13日のピッツバーグ・パイレーツ戦でメジャーデビュー。新人ながらオールスターゲームに選出され、9回に登板しセーブを記録。最終的に16勝13敗、防御率2.76を記録し、リーグ最下位に終わったチームでひとり気を吐いた。オフには最下位チームからは史上初となる新人王を受賞。 1968年は開幕投手を務める。4月15日のヒューストン・アストロズ戦では10回を2安打無失点と好投しながら勝敗付かず[4][5]。その後も好投しながら援護がなく、5月まで防御率1.91ながら2勝に留まるが、6月に5勝を挙げる。最終的に16勝12敗、防御率2.20、205奪三振の成績を残し、チームは球団史上最高の勝率.451を記録した。 1969年はエクスパンションによって4球団が誕生し、東西2地区制となった。7月9日のシカゴ・カブス戦で9回一死までパーフェクトに抑え、1安打無四球の「準完全試合」で完封勝利を挙げる[6]など、前半戦で8連勝を含む14勝を記録。後半戦は防御率1.67、8月9日から3完封を含む10連勝。25勝7敗、防御率2.21、208奪三振を記録し、最多勝利のタイトルを獲得。チームは100勝を挙げて地区優勝を果たす。ブレーブスとのナショナルリーグチャンピオンシップシリーズ(NLCS)では第1戦に先発し、7回5失点ながら勝利投手となり、チームは3連勝で球団創設以来初のリーグ優勝。ボルチモア・オリオールズとのワールドシリーズでは第1戦に先発するが5回4失点で敗戦投手。第4戦では9回に同点とされるも延長10回を1失点完投で王手をかける。第5戦も勝利し4勝1敗でワールドチャンピオンに輝いた。同年のメッツの躍進は「ミラクルメッツ」と呼ばれた。オフに初のサイ・ヤング賞を受賞し、MVPの投票ではウィリー・マッコビーと22ポイント差の2位だった。
経歴
メッツ時代