トム・ケリー
Tom Kellyツインズ監督就任直後のケリー(1987年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地ミネソタ州ビッグストーン郡グレースビル
ジェイ・トーマス・ケリー(Jay Thomas Kelly , 1950年8月15日 - )は、アメリカ合衆国ミネソタ州ビッグストーン郡グレースビル(英語版)出身の元プロ野球選手(一塁手、外野手)、監督。左投左打。愛称はTK[1]。 1968年のMLBドラフト8巡目(全体178位)でシアトル・パイロッツから指名され、プロ入り。1980年までの13年間の現役時代でのメジャー経験は1975年にミネソタ・ツインズでの1年だけであり、大部分をマイナーで過ごしている。なお現役時代の本職は外野手であったが、メジャーでは一塁手での出場が最も多かった。 1977年、ツインズ傘下のAAA級タコマ・ツインズで選手兼任の監督となった。この時27歳の若さであった。「君はリーダーの素質がある。きっといい監督になれる」と勧められて転向したが、1979年からは3年連続でパシフィックコーストリーグの最優秀監督賞を受賞した。同時期にシカゴ・ホワイトソックスで監督を務めていたトニー・ラルーサは「彼は知名度はないが、将来は大リーグをリードする存在になる」と断言していた[要出典]。
経歴
1991年にはアトランタ・ブレーブスとの史上初の”前年最下位同士”となったワールドシリーズを制し、2度目のシリーズ優勝を経験した[3]。
1992年には日米野球でMLB選抜の監督を務めている。その後はチームの緊縮財政もあって今ひとつのシーズンが続くが、その間にトリー・ハンター、ジャック・ジョーンズ、クリスチャン・グーズマン、コーリー・コスキー、ダグ・ミントケイビッチ、ラトロイ・ホーキンス、エリック・ミルトンらの2000年代前半のツインズを支える面々が育ち、最終年の2001年には9年ぶりのシーズン勝ち越し(85勝77敗で2位)を記録した。ケリーの背番号「10」。
ミネソタ・ツインズの永久欠番に2012年指定。
2012年1月26日、古巣ツインズはケリー在籍時の背番号『10』を永久欠番に指定したい旨を示した[4]。この年の9月8日にケリーを本拠地ターゲット・フィールドに招いてセレモニーが催され、正式に永久欠番に指定された[5]。 年
詳細情報
年度別打撃成績
度球
団試
合打
席打
数得
点安
打二
塁
打三
塁
打本
塁
打塁
打打
点盗
塁盗
塁
死犠
打犠
飛四
球敬
遠死
球三
振併
殺
打打
率出
塁
率長
打
率O
P
S
1975MIN491471271123501311100231500223.181.262.244.506
MLB:1年491471271123501311100231500223.181.262.244.506
表彰
アメリカンリーグ最優秀監督賞:1回(1991年)
背番号
16(1975年)
41(1983年 - 1986年)
10(1987年 - 2001年)
脚注^ a b 「トム・ケリー」『パンチョ伊東のMLB名鑑1999』ベースボール・マガジン社 244頁
^ “Chicago White Sox at Minnesota Twins Box Score, October 5, 1986
^ 「1991 Magic Twins トム・ケリー」『1991大リーグ総集編』 週刊ベースボール1991年12月28日増刊号 ベースボール・マガジン社 48頁