トミー_(ロンドン交響楽団のアルバム)
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『Tommy as performed by London Symphony Orchestra and English Chamber Choir with Guest Soloists』
ロンドン交響楽団スタジオ・アルバム
リリース1972年11月27日
1972年12月8日
録音1972年4月-9月
ロンドンオリンピック・スタジオ
ジャンル管弦楽曲
時間69分56秒
レーベルオデ・レコード
プロデュースルー・ライズナー
ゴールドディスク
プラチナ・ディスク
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Tommy as performed by London Symphony Orchestra and English Chamber Choir with Guest Soloistsは、ロンドン交響楽団とイギリス室内合唱団(英語版)が1972年に発表したアルバム。イングランドロックバンドザ・フーが1969年に発表したアルバム『トミー』の管弦楽団版。ザ・フーのメンバー、リンゴ・スターロッド・スチュワートらのロック・ミュージシャンが独唱者として客演した。
解説
経緯

ザ・フーの『トミー』は、父親が殺人を犯すのを目撃した少年トミーが自ら三重苦になって内なる世界に閉じこもって成長していく、という架空の物語を描いた2枚組アルバムだった。この作品はメンバーでギタリスト兼ヴォーカリストのピート・タウンゼントがインドの導師メヘル・バーバーの教えに強い影響を受けて書いたもの[注釈 1]で、4人のメンバーがトミーと彼を取り巻く様々な人々の役を担って代わる代わる歌う[注釈 2]という構成を採った。『トミー』は高い評価を得てイギリスとアメリカのアルバム・チャートでそれぞれ最高位2位と4位を記録しただけでなく、メンバーが作品の渾名に使っていた「ロック・オペラ」という言葉[注釈 3]ポピュラー音楽の形式の一つの名称として使われるきっかけをつくった[注釈 4]

大きな話題を提供した『トミー』には映画化の話が起こったほか、バレエ版や舞台版がザ・フーから独立した形で制作された[1][2][注釈 5]。そして1971年11月、マーキュリー・レコードのヨーロッパ事業責任者だったレコード・プロデューサーのルー・ライズナー(英語版)[注釈 6][3]が、タウンゼントに『トミー』の管弦楽団版を制作することを提案した[4]

1972年4月、ロンドンのオリンピック・スタジオでキース・グラント[5]をエンジニアに迎えて、ライズナーのプロデュースの下に録音が始まった[6]。デヴィッド・ミーシャム(英語版)がロンドン交響楽団の指揮を務めた。最初の編曲版にはドラムスやベース・ギターが含まれていたが、グラントの努力にもかかわらず録音がうまく行かなかったので、ライズナーはウィル・マローンにオーケストラだけの為の編曲を依頼した[注釈 7][7]

ザ・フーの4人のメンバーのうち3人が独唱者として参加。タウンゼントは編曲には一切関与せずにナレータ―に専念した[注釈 8]。リード・ヴォーカリストのロジャー・ダルトリーがトミー[注釈 9]、ベーシスト兼ヴォーカリストのジョン・エントウィッスルが従兄弟のケヴィンの役だった[注釈 10]。その他、元ビートルズのリンゴ・スター、当時フェイセズのメンバーでライズナーのプロデュースによってソロ・アルバムを2作発表していたロッド・スチュワート、トラフィックのメンバーで以前ブラインド・フェイスにも在籍したスティーヴ・ウィンウッド、俳優で歌手でもあるリチャード・ハリスなどが独唱者として客演した[注釈 11][7]

イギリス室内合唱団と独唱者のダビングを含めて、録音は10月に終了した。ライズナーの企画は綿密な計画立案に1年、スタジオでの作業に8か月を費やし、プロデューサーのルー・アドラー(英語版)から60,000イギリス・ポンドの資金援助を受けて完成した。アルバムはアドラーが設立したオデ・レコード(英語版)から年内に発表された[注釈 12][7]
内容
あらすじ第一次世界大戦の末期、トミーは父親がいない家庭に生まれた。父親のウォーカー大佐は戦地で消息不明になり、死亡したと考えられていた。しかし大佐は突然帰宅して妻が他の男と一緒にいるのを見つけ、逆上のあまり、トミーの目の前で男を殺してしまった。トミーはこの暴力的な場面に衝撃を受け、さらに両親から「お前は聞いていないし見てもいない。たった一言も絶対に聞いていない。知っている真実を誰にも言ってはいけない」と主張され強要されたので、外の世界に対して目を閉じ耳と口を塞いで三重苦になってしまった。

トミーは自分の内なる心の世界の中だけで成長していった。「病気は心を普段は行けない場所に連れて行ってくれる。さあ、この素晴らしい旅行に参加して必要な事を全て学んでおいで」。彼は「俺より意地悪な遊び友達はいないぜ」という従兄弟のケヴィン、治してあげようと約束するジプシーの女、「俺がいくら弄んでもお前には俺が見えないし聞こえないのさ」という好色で悪賢い叔父のアーニーなどに象徴される邪悪が満ち溢れる外の世界には無関心なままだった。

トミーはピンボールをすること、鏡の前に立ってそこに映る自分の姿をうっとりと見つめること、という二つの行為に集中することだけに満足しているようだった。彼の内なる世界はさらに大きくなっていった。両親が「この子を治してくれる」と期待した医師は彼が正常であると診断した。彼の検査結果は全て正常で、医師は「希望は私にではなく彼にある」ことを見つけた。

罪の意識に苦しめられ取りつかれた両親は、自分達が引き起こしてしまった息子の病を何とかして治そうと空しい努力を続けた。しかし彼は相変わらず鏡に映る自分の姿にしか反応しないという有様だった。そしてピンボールをするという常識を逸脱した才能によって名声を得て、多くの追従者を集めた。

母親は自分の息子と意思の疎通を図ろうと、気持ちをいらだたせる試みを繰り返すうちに、従順さが萎え節度を失って遂に鏡を叩き壊してしまった。砕け散った鏡の破片がトミーの暗く静寂な世界を切り裂いた。彼は治った。そして治癒によって新しい教示を得た。彼は自分が新しい救い主であると信じた。「私は見えるものにしか魅了されないような性根が据わっていない連中なぞ相手にしない。私が触った者たちは今や私の弟子だ。神と崇めよ。私は光だ」。ピンボールの魔術師の奇跡の治療は、新聞の第一面を賑わせた。彼は自分の経験の暗黒と光を通り抜けて『福音伝道者』になった。彼の説教には大勢の聴衆が集まった。


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