トミー_(アルバム)
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『ロックオペラ “トミー”』
ザ・フースタジオ・アルバム
リリース1969年5月23日
録音1968年9月19日 ? 1969年3月7日ロンドンIBCスタジオ
ジャンルロック
時間74分
レーベルTrack, Polydor (UK)
Decca, MCA (U.S.)
プロデュースキット・ランバート
専門評論家によるレビュー


オールミュージック link

ポップマターズ 2004

ローリング・ストーン

ザ・フー アルバム 年表

マジック・バス?ザ・フー・オン・ツアー
(1968)トミー
(1969)ライヴ・アット・リーズ
(1970)

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トミー (Tommy) は、イングランドロックバンドザ・フー1969年5月に発表した通算4枚目のスタジオ・アルバム。三重苦の少年トミーを主人公にした架空の物語で、ロックンロールオペラを融合させた「ロック・オペラ」を確立した作品であると広く認識されている。全英2位[1]、全米4位[2]。「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・ベストアルバム500」において、96位にランクイン。
概要

ロックンロールオペラを融合させた画期的な作品であり、ザ・フーのキャリアにおいても重要な位置に占める作品である。ロックオペラを確立したアルバムでもあり、また、その後の世界に多くの影響を与えた。このアルバムのヒットにより、ザ・フーはシングルヒットを量産するヒットソングバンドのイメージから脱却し、アルバムアーティストへ転換することに成功した[3]

三重苦の少年トミーを主人公にした物語は若者、ほぼ全曲の作者であるピート・タウンゼント自身の孤独や苦悩を反映させたスピリチュアルなもので、タウンゼントが傾倒しているインド導師ミハー・ババ[4][注釈 1]の影響が初めて作品に顕著に現れたものである[5]。本作はババに捧げられ、彼の名が「アバター」としてクレジットされている。

オペラの雰囲気を高めるために、主人公であるトミーの心情を歌う曲ではロジャー・ダルトリーが、他の人物や語り部の役割の曲ではタウンゼントが、それぞれリードボーカルを担当している。ただし、ダルトリーが「クリスマス」、「ピンボールの魔術師」、「鏡をこわせ」等トミー以外の人物の曲を歌い、逆にタウンゼントが三重苦から解放されたトミーの喜びを表した「センセイション」を歌うなど、例外もある。「従兄弟のケヴィン」と「叔父のアーニー」では、作者のジョン・エントウィッスルがリードボーカルをとっている。

アルバムが発表される前の1969年3月に「ピンボールの魔術師」が先行シングルとしてリリースされ[6]、全英4位の大ヒットとなった。また「シー・ミー・フィール・ミー[7]や「僕は自由だ」(アメリカのみ)[8]がシングルカットされた。この他、1970年11月にはアルバムから4曲をカットしたEP盤[9]もリリースされたが、当時はすでにEPというフォーマット自体が古くなっており、こちらは話題にはならなかった[10]

LP盤のジャケットのデザインはタウンゼントにババの事を知る機会を与えたイラストレーターのマイケル・マッキナニー(Michael McInnerney)[11][12]による。ジャケットは3面開きになっており、歌詞カードも封入され、ザ・フーのアルバムの中で最も豪華な作りになっている[13]。オリジナルのジャケットにはメンバーの顔が写されているが、リイシュー盤のジャケットには写っていないもの[注釈 2]もある。

アルバム発表に伴って行なわれた1969年5月から1970年の末にかけてのツアーではライブの中盤にほぼ全曲が演奏され[14]、その様子は『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』『ワイト島ライヴ1970』といった映像作品で観ることができる。その後も、2023年現在に至るまで、様々な形で演奏されてきた。

また本作はロック・ミュージックに留まらず、広く芸術界の注目を集め、バレエ[15]、舞台[16]オーケストラ映画ミュージカルと、様々なメディアによって取り上げられてきた。
製作

本作のレコーディングが始まったのは1968年9月19日であったが、当時のザ・フーの財政状況はかなり逼迫しており、ダルトリーも「アルバム自体出せるか不安だった」と後に語るほどであった[17]。そのため、彼等は月曜から木曜にかけてレコーディングを行ない、週末は資金捻出のために散発的にステージをこなした。それでもなお、作品のコンセプトが定まらなかった事もあり、レコーディングは本来の発売予定日だったクリスマスを過ぎ、結局半年間以上に及んだ。

プロデューサーとしてクレジットされているキット・ランバートは、ザ・フーの当時のマネージャーである。彼は元々は音楽プロデューサーではなかったが、クラシック音楽の有名な作曲家であるコンスタント・ランバートを父に持ち、オペラへの造詣も深く、様々なアイデアを提供した。ランバートは当初オーケストラの起用を望んだが、サウンド面での指揮はタウンゼントが執っており、ライブで再現が出来るものでなくてはならないと考えたメンバーもランバートの希望を拒否した。彼等は必要最低限の楽器のみで、交響楽団にも迫るサウンドを目指して製作を進めた。収録曲のほぼ全てはタウンゼントの作だが、トミーが性的虐待やいじめに遭う曲は「自分には書けそうもないから」とタウンゼントに託されたエントウィッスルの作である[18]

メンバーは更なるオーバーダビングを望んでいたが、1969年5月に開始されることが決まっていた新作アルバムのプロモーションのためのコンサート・ツアーが目前に迫ってきたので、レコーディングは1969年3月7日に終了された。制作には総額約36000ポンドが費やされた。レコーディング中は「Deaf,Dumb And Blind Boy」、「Amazing Journey」、「Brain Opera」といった仮タイトルがつけられていたが、最終的に主人公の名前がタイトルになった[注釈 3][19]

アルバムは2枚組の大作であったが、全英2位、全米4位を記録する大ヒットとなり、この成功によってザ・フーは解散の危機を乗り越えた。

本作のオリジナルのマスター・テープは、後にランバートが破棄してしまい現存していないという噂があったが、実際にはレコード会社の倉庫の中に無傷のまま保管されていた。2003年以降の本作のリイシュー版は、このオリジナル・マスターから起こされた音源を使用している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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