トミーヒルフィガー
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この項目では、企業について説明しています。創業者については「トミー・ヒルフィガー」をご覧ください。

トミーヒルフィガー[注釈 1]
Tommy Hilfiger B.V.

種類非公開株式会社(英語版)(B.V.)
本社所在地 アメリカ合衆国
オランダ北ホラント州アムステルダム(登記上の本社所在地)
アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク(実質的な本社機能)[W 2]
設立1985年
業種衣料品アパレル産業
代表者マーティン・ハーグマン(CEO
主要株主PVH Corp.(英語版)
関係する人物トミー・ヒルフィガー(創業者)
外部リンクhttps://japan.tommy.com/
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トミーヒルフィガー(英語: Tommy Hilfiger B.V.)は、同名の高級衣料品ブランドを展開するアメリカ合衆国の企業である。[1]
概要

「トミーヒルフィガー」ブランドは1990年代から大きな人気を博し、2020年代の今日ではアメリカ合衆国を代表するファッションブランドのひとつに数えられている[W 3]

ブランドとしては1985年にファッションデザイナーのトミー・ヒルフィガーによって設立され、その商品は世界100か国のデパートや2,000を超える小売店で取り扱われている。「クラシックアメリカンクール」をブランドミッション(デザインの方針)として掲げており[W 1]プレッピー路線(名門私立高校スタイル[W 4])のデザインを特徴とする[W 4]

2006年に投資会社のエイパックス・パートナーズ(英語版)によって買収され、2010年には現在の親会社であるフィリップス・バン・ヒューゼン(英語版)(PVH社)の傘下企業となった[W 5][W 6]。創業者であるヒルフィガーは会社が買収された後もブランドに留まり、ブランドの顔を務めるとともに[W 7]、プリンシパルデザイナー(Principal Designer)としてデザインチームを率いている[W 8]

2019年時点で、トミーヒルフィガーの年間売上はおよそ47億ドルとされる[W 9]。PVH社はトミーヒルフィガーの他、カルバン・クライン(英語版)などのブランドも保有するが、トミーヒルフィガーは同社のブランドの中でも最も大きな売上をあげている[W 10][W 9]
略史
前史「トミー・ヒルフィガー」も参照

創業者のトミー・ヒルフィガーは高校在学中の1969年から衣料販売業を始め、ニューヨーク州北部の地元エルマイラでピープルズ・プレイス(People's Place)という名称の衣料品を扱う店を開業し、衣料業界でのキャリアを始めた[W 1][W 11][W 12][注釈 2]。その開業資金は150ドルだったとされる[W 1][W 13]

この店はチェーン展開にも成功し、7店舗にまで拡大したが、1977年に破産申請した[W 14]

1979年、ヒルフィガーはファッションデザイナーとしてのキャリアを積むためニューヨーク市に移り、ジョルダッシュ(英語版)のジーンズなどいくつかのブランドに関わった[W 14]
創業(1985年 - 1989年)

1980年代初め、ヒルフィガーはインドの繊維王であるモーハン・マジャーニ(英語版)と面識を得る[W 1][W 14]。マジャーニは紳士服のラインの立ち上げを望んでいたことから、ヒルフィガーはその援助を受けて、1985年に自身の名を冠したトミーヒルフィガー社(Tommy Hilfiger Corporation)をニューヨーク市で創業し[W 8]、「トミーヒルフィガー」ブランドの最初の製品群を発表した[W 1]。これらはボタンダウンシャツチノパンなど、プレッピーな衣料品を現代的に解釈し直したものであり、カジュアルさと若々しさを特徴とするこのコンセプトは以降の同社の製品にも共通して用いられることになる[W 8][W 14]。宣伝については、ジョージ・ロイス(英語版)が手掛けたタイムズスクエアにおける広告掲出をはじめ、当初から大きな注目を集める方向で展開された(→#創業期の広告戦略)。

広告戦略が成功したことに加えて、商品自体も高品質であり、ラルフ・ローレンのデザインより若干派手で、価格帯は若干低いという設定が受け入れられ、ターゲットである20歳から35歳くらいの若い年齢層の定番となっていった[W 14]

「トミーヒルフィガー」ブランドは1989年にマジャーニの支援から離れ、新たに衣料品製造業を営む香港の実業家であるサイラス・チョウ(英語版)からの財政的支援を得た[W 14]。ヒルフィガーはチョウと彼のビジネスパートナーでありラルフ・ローレン社(英語版)のヨーロッパ進出を手がけたローレンス・ストロールに会社を売却し[W 11][注釈 3]、両名によってトミーヒルフィガー社(Tommy Hilfiger, Inc.)が新たに設立された[W 14]。自らの事業を持つチョウはトミーヒルフィガーに専念していたわけではないが、ファッション業界における経験が豊富な両名の関与により、ヒルフィガーはデザインを手がけ、ストロールはマーケティングに関する知識を提供し、チョウは会社組織の構築やアジアにおける調達を手助けするという分担が生まれ、これは創業間もないトミーヒルフィガーを軌道に乗せる上で大きな推進力となった[W 15]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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