トマ・ピケティ
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Thomas Piketty
トマ・ピケティ

生誕 (1971-05-07) 1971年5月7日(53歳)
母校高等師範学校 (パリ)
ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス
社会科学高等研究院
影響を
受けた人物サイモン・クズネッツ
アダム・スミス
ジョン・メイナード・ケインズ
アンソニー・アトキンソン
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トマ・ピケティ(Thomas Piketty、1971年5月7日 - )は、フランス経済学者

経済学博士パリ経済学院 (Ecole d'economie de Paris, EEP) 設立の中心人物、教授。社会科学高等研究院の研究部門代表者。

パリの国立高等師範学校出身。経済的不平等の専門家であり、特に歴史比較の観点からの研究を行っている。膨大な統計データを利用して格差と再分配の問題を考察した2013年の著書『21世紀の資本』で一躍時代の寵児となった。
経歴

トマ・ピケティは、パリ郊外のクリシーに生まれた。両親は、裕福な家庭の出であったが、1968年パリ五月革命に関わり[1]労働運動の闘士として活動し、後には南仏オード県山羊を育てる生活に入った[2]。学校で優秀な生徒であったピケティは、バカロレアをC種で取得し、数学の準備講座をリセ・ルイ=ル=グランで受講した後、1989年に18歳でパリ国立高等師範学校 (ENS)に進学し、経済学への関心を深めた。

1991年にパリ経済学校の政治経済分析の共同博士準備資格(DEA)を取得[3]した後、ロジェ・ゲスネリ (Roger Guesnerie) 教授を指導教員として社会科学高等研究院及びロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で学び、22歳で富の再分配の理論研究を博士論文として提出し、経済学の博士号(European Doctoral Programme in Economicsと呼ばれるプログラムの共同学位である)を得た[4]

「富の再分配の理論についての考察 (Essais sur la theorie de la redistribution des richesses)」と題されたこの論文は[5]、フランス経済学会 (l'Association francaise de sciences economiques) による1993年の最優秀論文賞を与えられた[6]

著書『21世紀の資本』はアメリカでは2014年春の発売以降、半年で50万部のベストセラーとなっており、多くの言語で翻訳されている[7]

ピケティは『リベラシオン』紙に定期的に寄稿しており[8]、『ル・モンド』紙にも時おり寄稿している。
職歴

博士号を得た後、1993年から1995年まで、ピケティはアメリカ合衆国マサチューセッツ工科大学で、助教授として[9]、教鞭をとった。1995年フランス国立科学研究センター (CNRS) に移って研究に従事することとなり、さらに2000年には、社会科学高等研究院の研究代表者となった。2006年末から2007年にかけて、社会科学高等研究院 (EHESS)、パリ高等師範学校、国立土木学校パリ大学、国立農学研究所(フランス語版) (INRA) とCNRSにより新設されるパリ経済学院の設立準備に、ピケティは3年間関与し、同校の初代代表となった[10]。同校は社会行動研究センター (Centre de recherche et d'action sociales, CERAS)、経済学応用研究センター (Centre Pour la Recherche Economique et ses Applications, CEPREMAP) といった既存の組織を再編して新設された。しかし、社会党から大統領選挙に立候補したセゴレーヌ・ロワイヤルの選挙運動を支援するためとして、「ずっと前から決めていたことだ」と述べて[11]、代表の任を離れた。2007年以降は、同校の教授である。
業績フランスにおける所得上位10%の所得が、国民総所得に占める比率(1919年 - 2005年)。1998年までのデータはトマ・ピケティに、以降はカミーユ・ランデ (Camille Landais) による。アメリカ合衆国における所得上位10%の所得が、国民総所得に占める比率。エマニュエル・サエズ (Emmanuel Saez) とトマ・ピケティによる。

経済学界において、ピケティは経済的不平等の専門家と見なされている。この方面でのピケティの業績は数多く、理論的かつ標準的なものとなっているが[12]、1990年代末からは、歴史的、統計的視角からの研究がなされている。
長期的視点から見た経済的不平等の研究

トマ・ピケティは、フランスにおける高所得層の研究に取り組み、2001年に著書『Les hauts revenus en France au XXe siecle(フランスの20世紀における高所得)』(Grasset) を公刊した。この研究は、税務当局が保有する所得税申告についてのデータを使い、20世紀の全期間をカバーする統計データを整備する作業の上に成立している。
フランスにおける不公平拡大過程の研究

ピケティのこの業績によって、重要な事実に光を当てることになった。特に、20世紀のフランスでは、特に第二次世界大戦後において、所得の不平等が大幅に縮小したことを、ピケティは明らかにした。不平等の縮小は、おもに相続財産の不平等の縮小によるものであり、給与所得の不平等は変わらずに保たれている。ピケティによれば、不平等の縮小をもたらしたものは、戦後における所得税の導入と、その強い累進性であり、これによって相続による財産の蓄積が阻まれ、多額の資産を代々維持することが難しくなった。このためピケティは、1990年以降に行われたフランスの減税策について、この減税が大資産や、ランティエ(不労所得で生活する層)の再構築を許すことに繋がるとして、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}強く反対している[要出典]。所得階層の最上位に位置するランティエは経済活動の活性化にほとんど寄与しておらず、この層を排して労働所得層に置き換えることは不平等の縮小につながり、さらに経済成長を刺激することにもなるとピケティは主張する。ピケティは、ラッファー曲線のような議論には、さほど働いていない高所得層の税率を引き下げても、フランスの場合、その限界効果はおそらくゼロかごく僅かにとどまる、といった観点が欠けていることを、統計的研究を踏まえて示した[13]
比較研究

次にピケティは、先進諸国における不平等の動態についての比較研究に取り組んだ。この目的を達成するために、エマニュエル・サエズ (Emmanuel Saez) など、他の経済学者たちの協力も得ながら、フランスの場合と同様の手法によって、一連の統計数値を整えた。この作業によって、アメリカ合衆国における不平等の拡大について[14]、また、アングロ・サクソン諸国と大陸ヨーロッパ諸国における動態を比較する論説が公刊されるようになった[15]。こうした研究を通して、大陸ヨーロッパ諸国と同じように第二次世界大戦後の経済的不平等の縮小を経験したアングロ・サクソン諸国が、その後しばらくしてからの30年間にわたって不平等を拡大させていったことが明らかにされた。ピケティとガブリエル・ズックマンの2013年の共著論文は、1970年から2010年における資本/所得比率の歴史的推移に関する研究であり、アメリカ・イギリス・ドイツ・フランスについては1700年までさかのぼって分析した[16]。この論文のデータは、ピケティの著書『21世紀の資本』(2014年)でも理論的支柱になっている[注釈 1]
クズネッツ曲線批判

ピケティによる分析には、1950年に公刊されたサイモン・クズネッツの先駆的業績を批判する部分も含まれている[18]。クズネッツは経済成長と所得分配の関係について、所得における不平等の拡大は、長期的には逆U字の曲線(クズネッツ曲線)を成すもので、生産性の低い部門(農業)から高い部門(産業)へと労働力が移動することによって、産業革命の開始とともに拡大が進み、やがて縮小していくと考えていた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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