トマス・M・ディッシュ
Thomas M. Disch
2008年、撮影
誕生Thomas Michael Disch
1940年2月2日
アイオワ州デモイン
死没 (2008-07-04) 2008年7月4日(68歳没)
ニューヨーク州ニューヨーク
職業SF作家、詩人、評論家
国籍 アメリカ合衆国
活動期間1962年?2008年
ジャンルSF
文学活動ニュー・ウェーブ
ウィキポータル 文学
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トマス・マイケル・ディッシュ(Thomas Michael Disch、日本語ではトーマスとも、1940年2月2日 - 2008年7月4日)は、アメリカ合衆国のSF作家、詩人、評論家[1][2][3]。1980年にジョン・W・キャンベル記念賞、1999年にヒューゴー賞関連書籍部門を受賞。星雲賞海外短編部門を2度受賞している。 1960年代にSF雑誌に作品が掲載されるようになった。SF長編『人類皆殺し』、『キャンプ・コンセントレーション』、『334』、『歌の翼に』といった作品の評価が高く、ニュー・ウェーブ運動の中心となったSF作家の一人であり、数々の実験的作品を世に問うた。ヒューゴー賞、ネビュラ賞に幾度もノミネートされたが受賞せず「無冠の帝王」と綽名された[4]が、1998年に発表した文化へのSFの影響を考察した評論 The Dreams Our Stuff Is Made Of
概要
1966年の短編『リスの檻』(THE SQUIRREL CAGE)はニュー・ウェーブを象徴する作品として有名であり、日本でも第1回(1970年)星雲賞海外短編賞受賞。長編『歌の翼に』でキャンベル記念賞を受賞(1980年)。「児童向け」作品『いさましいちびのトースター』も好評で、第13回(1982年)星雲賞海外短編賞を受賞したほか、本国ではアニメーション映画化された。
長期に渡るうつ病の末、2008年7月4日[1][2][5]または5日[3][6]にニューヨーク州ニューヨークで拳銃自殺した。 アイオワ州デモイン生まれ。1946年ポリオに感染したため、1年間は母がホームスクーリングを行った。そのため、幼稚園から小学校の2年生に編入された。小学校はカトリック系だった。そのためか作品にカトリック教会への痛烈な批判が描かれていることがある。1953年、一家で両親それぞれの両親が住むミネソタ州ミネアポリス/セントポールに引越した。ミネアポリスでディッシュはSFや演劇や詩に出会うことになった。詩は彼にとって文学への入口だった。学校の教師 Jeannette Cochran が100行の詩を生徒たちに暗記させた際、ディッシュはその10倍の詩を暗記してみせたという[7]。初期の傾向はその後の彼の詩的形式や評論の方向性にも影響を与えている。 1957年に高校を卒業すると、製図工見習いとして一時期働いている。それで資金をためるとニューヨークに上京し、マンハッタンのアパートに居を構え、様々な方面に情熱を発揮しはじめた。メトロポリタン歌劇場で合唱団員として働き、その後書店で働き、次に新聞社で働いた。18歳になると陸軍に入隊。しかし軍隊生活は全く合わなかったようで、すぐさま3カ月間精神科に通うことになった。除隊するとニューヨークに戻り、独特の間接的方法で芸術を再び追求しはじめた。このころ経験した職が後の成功に役立った。演劇好きだったためニューヨークの劇場の手荷物預かり所で働き、その経験が後の演劇評論の仕事に結びついている。最終的に保険会社に職を得て、学校にも通うようになった。建築関連の学校に一時的に通った後、ニューヨーク大学の定時制に入学した。中編小説創作クラスとユートピア小説クラスを受講し、そこで彼のSF作品のテーマや作風の一部が形成された。
生涯