トニー・ラルーサ
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トニー・ラルーサ
Tony La Russa
2017年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地フロリダ州タンパ
生年月日 (1944-10-04) 1944年10月4日(79歳)
身長
体重6' 1" =約185.4 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション二塁手遊撃手
プロ入り1962年
初出場1963年5月10日
最終出場1973年4月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

選手歴


トーマス・ジェファーソン高等学校(英語版)

カンザスシティ・アスレチックス
オークランド・アスレチックス
(1963, 1968 - 1971)

アトランタ・ブレーブス (1971)

シカゴ・カブス (1973)

監督歴


シカゴ・ホワイトソックス (1979 - 1986)

オークランド・アスレチックス (1986 - 1995)

セントルイス・カージナルス (1996 - 2011)

シカゴ・ホワイトソックス (2021 - 2022)

アメリカ野球殿堂 殿堂表彰者
選出年2014年
選出方法ベテランズ委員会選出
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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

アンソニー・ラルーサ・ジュニア (Anthony La Russa, Jr., 1944年10月4日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州タンパ出身の元プロ野球選手内野手)。右投右打。
経歴

フロリダ州タンパで生まれ、高校卒業後の1962年に内野手としてカンザスシティ・アスレチックスと契約し、翌1963年5月10日にメジャーデビュー。しかし2年目のシーズンオフに痛めた右腕が完治せず、選手としては大成することなく終わる。選手時代のほとんどをオークランド・アスレチックス、アトランタ・ブレーブスピッツバーグ・パイレーツシカゴ・ホワイトソックスセントルイス・カージナルスシカゴ・カブスなどのマイナーで送る。1973年4月6日の試合に代走で出場したのが最後のメジャー出場となった。

監督になる前にロースクールに通い、フロリダ州立大学から法務博士学位を得たが、法曹界には入らなかった。1979年のシーズン中に、34歳の若さでホワイトソックスの監督に就任した。1983年にはアメリカンリーグ西地区を制し、最優秀監督賞を受賞。同年はリーグチャンピオンシップシリーズボルチモア・オリオールズに敗れる。その後1986年のシーズン中にホワイトソックスが26勝38敗とつまづいた責任を問われ、解雇される。オークランド・アスレチックスでの監督時代(1989年)

ホワイトソックスから解雇された3週間後にアスレチックスの監督に就任する。マーク・マグワイアホセ・カンセコの通称バッシュ・ブラザースを擁して、1988年から1990年まで三年連続でワールドシリーズにチームを導き、1989年にはサンフランシスコ・ジャイアンツを降してワールドシリーズを制覇する。1988年に二度目、1992年に三度目の最優秀監督賞に輝く。セントルイス・カージナルスでの監督時代(2008年)

1995年にアスレチックスの監督を辞任、そのままセントルイス・カージナルスの監督に就任し、1996年、2000 - 2002年、2004 - 2006年の7回ナショナルリーグの中地区優勝を果たす。2004年には105勝でカージナルス監督として初のワールドシリーズ進出を果たすが、ボストン・レッドソックスに4連敗を喫し、翌2005年は2年連続100勝を記録するもヒューストン・アストロズリーグチャンピオンシップシリーズで敗退。2006年は怪我人続出によって83勝で辛うじて地区優勝を果たすなど下馬評は高くなかったものの、ディビジョンシリーズサンディエゴ・パドレスを3勝1敗、リーグチャンピオンシップシリーズニューヨーク・メッツを激闘の末4勝3敗で下し、ワールドシリーズでもデトロイト・タイガースを4勝1敗で破ってカージナルスに24年ぶり10回目の世界一をもたらし、これによりラルーサはスパーキー・アンダーソンに続き史上2人目の両リーグでのワールドシリーズ優勝監督となった。また、対戦相手のタイガースの監督であるジム・リーランド1997年のワールドシリーズフロリダ・マーリンズを率いてワールドチャンピオンになった経験があり、どちらが勝っても両リーグでのワールドシリーズ優勝監督となっていた。

2011年は前半戦を首位に立ちながら8月に失速、中地区1位のミルウォーキー・ブルワーズには10.5ゲーム差、ワイルドカード争いをしていたブレーブスにも8.5ゲーム差をつけられた。しかしそこからブレーブスとの直接対決で3連勝するなどし、最終戦でワイルドカードを奪取。ディビジョンシリーズではレギュラーシーズンで両リーグ最高勝率を記録し世界一候補の筆頭だったフィラデルフィア・フィリーズを3勝2敗で退けると、リーグチャンピオンシップシリーズではブルワーズを4勝2敗で撃破。テキサス・レンジャーズとのワールドシリーズは2度もあと1ストライクで敗退という状況から勝利を収めた第6戦など、激闘を演じた末4勝3敗で勝利した。ポストシーズン史上最多の投手を起用する、「マイクロマネージ」と呼ばれる細かな継投策が目立った。直後の10月31日、監督勇退を表明した[1]。勇退は8月に決めており、理由を「いくつかの要因が重なった結果」と説明した。

2012年1月24日、この年のオールスターのナ・リーグ監督を務めることが発表され、試合は8?0でナ・リーグが快勝した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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