この項目では、ギタリストについて説明しています。アメリカンフットボール選手については「トニー・ライス (アメリカンフットボール)
」をご覧ください。トニー・ライス
Tony Rice
基本情報
出生名David Anthony Rice
生誕 (1951-06-08) 1951年6月8日
アメリカ合衆国 バージニア州ダンビル
死没2020年12月25日(2020-12-25)(69歳)
アメリカ合衆国 ノースカロライナ州リーズビル
ジャンルアメリカーナ、ブルーグラス、フォーク、ジャズ
職業ミュージシャン、ソングライター
担当楽器ギター
活動期間1970年 - 2013年
レーベルラウンダー
共同作業者J.D. Crowe & The New South、デヴィッド・グリスマン・クインテット、ブルーグラス・アルバム・バンド、リッキー・スキャッグス
公式サイト ⇒tonyrice.com[リンク切れ]
著名使用楽器
1935 Martin D-28 (previously owned by Clarence White)[1]
Santa Cruz Tony Rice Professional
トニー・ライス(Tony Rice、本名:ディヴィッド・アンソニー・ライス(英語: David Anthony Rice)、1951年6月8日 - 2020年12月25日[2])は、アメリカ合衆国のギタリスト、ブルーグラス・ミュージシャン。
ブルーグラス、ニューグラス、アコースティック・ジャズにおける最も影響力のあるギタリストの一人とされる[3][4]。2013年にthe International Bluegrass Music Hall of Fameに名を連ねた[5]。
ライスの携わる音楽は、トラディショナルなブルーグラスから、ジャズの影響を受けたニュー・アコースティック・ミュージックや歌志向のフォークまで幅広い。彼はキャリアの中で、J.D.Crow and New South、デヴィッド・グリスマン、ジェリー・ガルシアらと共演し、自らトニー・ライス・ユニットを率いる。ノーマン・ブレイクとのコラボレーション、兄弟のワイアット、ロン、ラリーとのレコーディング、ブルーグラス・アルバム・バンドの結成などの活動を行ってきた。またトラディショナルなブルーグラスの楽器と、ドラムや、ピアノ、ソプラノ・サックスなどとのレコーディングなども行っている[6][7]。 ライスはバージニア州ダンビルで生まれ、カリフォルニア州ロサンゼルスで育ち、父であるハーブ・ライスからブルーグラスを教わる。トニーとその兄弟はケンタッキー・コロネルズを率いていたローランド・ホワイト、クラレンス・ホワイトといったロサンゼルスのミュージシャン達からブルーグラスの基礎を学んだ。特にクラレンス・ホワイトはライスに大きな影響を与えた。ライ・クーダー、ハーブ・ペデルセン、クリス・ヒルマンとの出会いによって、ライスが父から学んだ音楽はより強化されることとなった[8]。 1970年、ライスはケンタッキー州ルイビルに引っ越し、そこで、Bluegrass Allianceと、そのすぐ後には、J.D. Crowe's New Southと演奏を行った。The New Southはドラムやエレキ楽器を加えるなど、当時最もプログレッシブなブルーグラス・バンドとして知られていた。 1974年にリッキー・スキャッグスが加入した頃、バンドはアルバム『J. D. Crowe & the New South』のレコーディングを行った。当時、このアルバムはラウンダー・レコードで最も売り上げたアコースティック・アルバムとなった。この時、バンドはトニー・ライス(ギター、リードボーカル)、J.D.クロウ(バンジョー、ボーカル)、ジェリー・ダグラス(ドブロ)、リッキー・スキャッグス(フィドル、マンドリン、テナーボーカル)、ボビー・スローン(ベース、フィドル)で構成されていた。 この頃、ライスはマンドリン弾きのデヴィッド・グリスマンに出会った。グリスマンは1960年代にレッド・アレンと演奏をしており、ジャズ、ブルーグラス、クラシックのスタイルを融合させたオリジナルの音楽を作ろうとしていた。ライスはNew Southを脱退し、カルフォルニアに拠点を移し、グリスマンのバンドへと加入した。バンドはデヴィッド・グリスマン・クインテットとなった。
来歴
デヴィッド・グリスマン・クインテット