トニー・メンデス
アントニオ・ジョセフ・メンデス
Antonio Joseph Mendez
メンデス(左)とジミー・カーター
(カナダの策謀作戦後)
生誕 (1940-11-15) 1940年11月15日
アメリカ合衆国 ネバダ州ユリーカ
(英語版)
死没2019年1月19日(2019-01-19)(78歳)
アメリカ合衆国 メリーランド州フレデリック
住居 アメリカ合衆国 メリーランド州ワシントン郡
職業中央情報局技術サービス担当官
活動期間1963 - 1990
著名な実績カナダの策謀
配偶者Karen Mendez (d. 1986)
ジョナ・メンデス (Jonna Mendez) (m. 1991)
受賞インテリジェンス・スター(英語版) (1980)
CIAトレイルブレイザー賞 (1997)
スフィンクス勲章 (2000)
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アントニオ・ジョセフ・"トニー"・メンデス(Antonio Joseph "Tony" Mendez、1940年11月15日 - 2019年1月19日)は、アメリカ中央情報局(CIA)職員である。秘密作戦の技術支援を専門としており、イランアメリカ大使館人質事件の際の「カナダの策謀」で現場指揮をしたことで広く知られている。
機密指定解除後、「カナダの策謀」作戦の詳細が2007年の『WIRED』誌のジョシュア・バーマン(英語版)の記事で報告された[1]。この事件を題材として、2012年のベン・アフレック監督の映画『アルゴ』が製作され、アフレックがメンデス役で主演し、アカデミー賞、ゴールデングローブ賞を受賞した。ゴールデングローブ賞の授賞式にはメンデス自身も出席し、スピーチを行った[2]。
若年期と教育メンデスは1940年にネバダ州ユリーカ
(英語版)でジョン・ジョージ・メンデス(John George Mendez, 1917-1943)[3][4]とネバ・ジューン・トニョーニ(Neva June Tognoni, 1919-1995)[5][6][7]の間に生まれた。彼は地元の公立学校に通っていた。父親はメキシコ系、母親はイタリア系・フランス系・アイルランド系の家系である[8][9][10][11][12]。『オープン・ユア・アイズ』誌のインタビューで、メンデスは、父親は幼い頃に亡くなったと語っている。彼はスペイン語を学ぶことはなく、父親のメキシコ系アメリカ人(英語版)の文化から切り離されて育ったため、自身がヒスパニックであるという認識はないと語った[13]。
メンデスが10代の頃に、家族はコロラド州に移住した。エングルウッド高校を卒業後、コロラド大学で美術を学んだ[14]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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