トニー・ホーム
プロフィール
リングネームトニー・ホーム
ルドヴィッグ・ボルガ
ザ・ヴァイキング[1][2]
本名トニー・クリスチャン・ホーム[1][2][3]
ニックネーム格闘サイボーグ
虐殺ヴァイキング
ヘルレイザー・フロム・ヘルシンキ[4]
身長193cm[1]
体重140kg(全盛時)[1]
誕生日 (1963-01-06) 1963年1月6日[3]
死亡日 (2010-01-08) 2010年1月8日(47歳没)[3]
出身地 フィンランド
ウーシマー県ヘルシンキ[3]
スポーツ歴ボクシング[2]ウエイトリフティング[2]
トレーナーバーン・ガニア[2]
ブラッド・レイガンズ[2]
デビュー1989年[2]
引退1997年[2]
テンプレートを表示
トニー・ホーム(Tony Christian Halme[1][2][3]、1963年1月6日 - 2010年1月8日)は、フィンランドのプロレスラー、プロボクサー、総合格闘家。ヘルシンキ出身。
アメリカ合衆国のプロレス団体WWFにおける、ルドヴィッグ・ボルガ(Ludvig Borga)としての活動でも知られる[1]。 フィンランドではヘビー級のボクサーとして活動し、フィンランド選手権を6度、スカンディナヴィア選手権を4度制覇[5]。1983年は欧州アマチュア・ヘビー級選手権に優勝、アマチュア時代は通算48戦全勝(41KO)という戦績を残した[5]。 1989年にアメリカに渡り、映画のスタント・パーソンなどを経てロード・ウォリアーズの勧めでプロレスラーに転向[5]。ブラッド・レイガンズのトレーニングを受け、1989年にデビュー[2]。カリフォルニア州マリナ・デル・レイのインディー団体UWFではザ・ヴァイキング(The Viking)を名乗り、ザ・パトリオットなどと対戦した[1][6]。 1990年10月25日、プロボクサーとして新日本プロレスのグリーンドーム前橋大会に初来日、ザ・ソウルテイカーとの異種格闘技戦でKO勝ちを収めた[5][7]。12月26日には橋本真也をTKOで破り、翌1991年は橋本との抗争を展開した[5]。同年10月はビッグバン・ベイダーとも異種格闘技戦2連戦を行い、1勝1敗となった[5]。アメリカではその間もプロレスラーとして活動していたが、1991年12月16日の大阪府立体育会館におけるクラッシャー・バンバン・ビガロ戦で日本でも本格的にプロレスラーに転向[5]。1992年11月22日には、両国国技館にてスコット・ノートンとタッグを組み、リック&スコットのスタイナー・ブラザーズからIWGPタッグ王座を奪取した[8]。 1993年7月、ルドヴィッグ・ボルガ(Ludvig Borga)のリングネームでWWFに参戦[9]。ヘルレイザー・フロム・ヘルシンキ(The Hellraiser from Helsinki)の異名を持つヒールとして売り出され、8月30日のサマースラムではマーティ・ジャネッティを一蹴[10]。以降はレックス・ルガーやタタンカとの抗争アングルが組まれ、11月24日のサバイバー・シリーズにはヨコズナ、クラッシュ、ジャック・ルージョーらと「フォーリン・ファナティックス」なる反米ユニットを結成して出場。ルガー、スタイナー兄弟、ジ・アンダーテイカーの「オール・アメリカンズ」と対戦した[11]。同年12月14日にはレイザー・ラモンのインターコンチネンタル王座に挑戦、一旦はピンフォールでタイトル奪取を宣告されるが、ショーン・マイケルズの介入があったため判定が覆り、幻のIC王者となっている[1][12]。 1994年もロイヤルランブルやレッスルマニアへの出場が予定されていたが、1月17日のリック・スタイナー戦で足首を負傷し、そのままWWFを離脱[13]。
来歴