トニー・ベネット
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Tony Bennett
トニー・ベネット

本名Anthony Dominick Benedetto(アントニー・ドミニク・ベネデット)
生年月日 (1926-08-03) 1926年8月3日
没年月日 (2023-07-21) 2023年7月21日(96歳没)
出生地 アメリカ合衆国ニューヨーク州
死没地 アメリカ合衆国ニューヨーク州
国籍 アメリカ合衆国
民族イタリア系アメリカ人
職業俳優歌手、エンターテイナー
ジャンルポップス、ジャズ
活動内容歌手活動、映画出演、コンサート、画家
配偶者あり
公式サイト公式サイト
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トニー・ベネット(Tony Bennett, 1926年8月3日 - 2023年7月21日)はアメリカ合衆国ポピュラー歌手ジャズ歌手、エンターテイナー画家ニューヨーク州クイーンズ生まれのイタリア系アメリカ人。本名はアントニー・ドミニク・ベネデット(Anthony Dominick Benedetto)[注 1]

米国を代表する歌手として知られ[1]、これまでにグラミー賞を20回受賞、エミー賞を2回受賞し、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームにもその名が刻まれるなど、アメリカを代表するエンターテイナーの1人。90代を迎えてもなお精力的に活動した長寿歌手としても知られ、全米アルバム・チャート1位の最年長記録保持者であり、アルバムをリリースした史上最高齢の人物としてギネス世界記録にも認定されている。

オペラ唱法に基づく朗々とした発声を得意とする歌手である一方、トーチ・ソングなどでの細やかな表現も見せることで、伝統的なポピュラーシンガーとして音楽評論家や音楽家から高く評価されていた。先輩歌手であるフランク・シナトラをして「おれの考えでは、トニー・ベネットは音楽業界最高の歌手だ」[注 2]と評せしめた逸話を持つ。
来歴

1926年8月3日、ニューヨーク州クイーンズイタリア移民の両親の下に生まれる[3]

18歳の時に徴兵され、第二次世界大戦の最後の2年間を過酷な戦況と気候のドイツ戦線で過ごした[3]。20歳で退役後ニューヨークに戻り、演劇関係の教育機関、アメリカン・シアター・ウィングに入学、今に至るオペラ風の歌唱法(ベルカント唱法)を身に付けた[3]。その頃当時の大スター・シンガー、パール・ベイリー(英語版)に見出され、1950年コロムビア・レコードと契約[3]。1951年には、「ビコーズ・オブ・ユー」がいきなり全米チャートで10週連続1位を記録してスターの仲間入りを果たした[3]。その後、1950年代から1960年代にかけて「ストレンジャー・イン・パラダイス」「思い出のサンフランシスコ」などヒットを連発し、自身のTV番組を持つようになるなど、エンターテイメントの世界で不動の地位を築いた[3]1966年、アムステルダムにて

しかし、1960年代半ばに登場したビートルズの流行と、それに続く70年代の大衆音楽リスナー層のロックへの大きな傾斜によるスタンダード・ポップやジャズの人気凋落の影響を受け、ベネットの人気も低迷した[3]。この間ロック曲にもトライしたり、自らのレーベルを設立したり、名ジャズ・ピアニストのビル・エヴァンスとの共演アルバムを作ったりと努力を重ねたものの、最終的には納税延滞状態になったあげく1979年にはコカインの過剰摂取で瀕死の目に遭うまでになった[3]

その後、マネージャーでもあった息子ダニー・ベネットからのアドバイスもあり、1986年に古巣コロムビア・レコードと契約、流行最先端のTVナイト・ショーに出演するなどして大々的な露出を図り、若年層へのアピールをはじめた[3]。これが功を奏し、1994年には、MTVアンプラグドに出演し、その模様のライヴ・アルバムがヒットを記録、グラミー最優秀アルバム賞を受賞し、第一線へのカムバックを果たした[3]スティーヴィー・ワンダーと(2009年、ホワイトハウス

2000年代以降は企画にも恵まれ、プラシド・ドミンゴヴァネッサ・ウィリアムスシェリル・クロウダイアナ・クラールビリー・ジョエルスティーヴィー・ワンダーバーブラ・ストライサンドポール・マッカートニーエルトン・ジョンビリー・ジョエルスティーヴィー・ワンダーディクシー・チックスジェームス・テイラーフアネスセリーヌ・ディオンダイアナ・クラールエルヴィス・コステロk.d.ラングボノマイケル・ブーブレスティングジョン・レジェンドジョージ・マイケルなどベテランから若手まで、様々なジャンルの歌手と共演し、コンスタントにアルバムを発表、話題を集めた。

2011年には、アレサ・フランクリンマライア・キャリーレディー・ガガ、7月に急死したエイミー・ワインハウスらとデュエットしたアルバム『Duets II』が、85歳にしてBillboard 200で自身初の初登場1位を獲得し、ボブ・ディランが67歳の時に『トゥゲザー・スルー・ライフ』で作った最年長首位記録を大幅に塗り替えた[4]レディー・ガガと(『Cheek to Cheek』ツアー2015)

2014年には、前作でデュエットしたレディー・ガガを「君は真のジャズシンガーだ」と絶賛し彼女との親交を深め、デュエット・アルバム『Cheek to Cheek』を発表、これが2枚目の全米初登場1位アルバムとなり、最年長アルバム1位記録は88歳と69日に更新された[3]

その後もビル・チャーラップ(英語版)・トリオとの共演アルバムを発表するなど、発声や生活習慣に常々配慮し、高齢に至っても第一線で歌えるだけの声質を維持していたが、2016年頃からアルツハイマーに罹患していたことを、2020年に複数のメディアが報じた[5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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