トニー・アボット
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オーストラリア政治家トニー・アボットTony Abbott

生年月日 (1957-11-04) 1957年11月4日(61歳)
出生地 イギリスロンドン
出身校シドニー大学
オックスフォード大学
前職オーストラリア連邦首相
所属政党自由党
配偶者マーガレット・エイトケン
第28代 オーストラリア連邦首相
在任期間2013年9月18日 - 2015年9月15日
オーストラリア連邦代議院議員
選挙区ニューサウスウェールズ州ワリングラー
在任期間1994年 -
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アンソニー・ジョン・"トニー"・アボット(英語: Anthony John "Tony" Abbott、1957年11月4日 - )は、オーストラリア政治家。元オーストラリア自由党党首。第28代オーストラリア連邦首相。宗教はカトリックである。
目次

1 経歴

2 政策

2.1 環境

2.2 外交

2.2.1 日本

2.2.2 中国



3 脚注

4 外部リンク

経歴

イギリスロンドンで、オーストラリア国籍の両親の間に生まれた。アボットの父リチャードはニューカッスル・アポン・タインで生まれ、近郊の村で育った。アボットは第二次世界大戦中に家族とともにオーストラリアに移住している[1][2][3][4]。母フェイはシドニー出身のオーストラリア人である。1960年に幼いアボットは両親とともにオーストラリアへ帰国した[5]。シドニー郊外のチャッツウッドに一家は居を構えた。シドニー大学で経済学と法学を専攻し、学生代表委員会会長を務める。またボクサーとしての活動歴もある。シドニー大学卒業後はローズ奨学生としてオックスフォード大学ザ・クイーンズ・カレッジに留学し、オックスフォード大学で修士号(政治・哲学専攻)を取得する。1984年、カトリックの神学校であるセント・パトリック神学校へ入学しカトリック司祭になるための勉強を始め、イエズス会に影響を受けたが、その後中退した。神学校をやめてから出会ったのが、シドニーで働くニュージーランド人のマーガレット・エイトケンで、2人は1988年に結婚した[6]。妻との間にルイーズ、ブリジェット、フランセスの3子がいる.[7]。学生時代よりライターとして活動していた縁でオーストラリアンなどに記事を寄稿しジャーナリストとして活動を始める。記事の中で労働組合や左派系政党を批判する論調を展開した。

1990年から1993年までオーストラリアの政治家ジョン・ヒューソン秘書、1993年から1994年までオーストラリア立法君主連合事務局長を務める。1994年、ニューサウスウェールズ州の連邦議会補欠選挙で当選し政界入りした。ジョン・ハワード政権下に2001年に環境大臣、2003年に健康保険大臣に就任した。2009年に行われた自由党内の党首選挙でマルコム・ターンブルに替わって党首に就任した。ハワード政権退陣後、自由党はブレンダン・ネルソン、ターンブルと党首交代が相次ぎ迷走が続いていたが、アボットは退潮傾向に歯止めをかけ、2010年6月には人気の高かった首相ケビン・ラッドを退陣に追い込み、同年8月の総選挙では情勢を接戦に持ち込んだ。

2013年9月の総選挙では与党の労働党を大差で下し、政権交代を実現させる。同月18日、就任宣誓式を行い第28代オーストラリア連邦首相に就任した[8]

2014年4月に来日。

2015年1月には旧宗主国に当たるイギリスのエディンバラ公フィリップへの勲章授与を独断で決めたことをきっかけに党内の不満が噴出し、野党だけでなく与党内部からも「時代錯誤で権威主義」と批判を浴びた[9]。経済政策や指導力へも疑問が高まり、2月6日に自由党党首からの解任動議を提出される。9日には動議を否決したものの、賛成39、反対61と賛成票が4割近くになったため求心力は低下した[10]。その後は首相、与党とも世論調査で支持率が低下するなど与党内部からアボットに対し不信の声が高まり[11]、通信大臣で自由党元党首のマルコム・ターンブルなどから退陣を迫られた[12]。9月14日、ターンブルの要求を受けアボット首相は党首選挙を実施し、ターンブルに敗北、首相を辞任することとなった[13]。翌15日、正式に首相を退任した[14]。2019年5月18日投開票のオーストラリア総選挙では落選[15]
政策

保守的なカトリック教徒としても知られ、胚性幹細胞の研究や人工妊娠中絶に反対し、君主制存続を主張している。
環境

ニューズウィークによれば、次のような政策を行っている、と報道している[16]。炭素税と鉱物資源利用税を廃止、サメの殺害、国立公園内で家畜放牧の解禁、再生可能エネルギーへの投資を縮小、グレートバリアリーフへの土砂の廃棄の許可、ユネスコに対しタスマニア原生林を世界遺産登録から外す事を要望[16]。また、ニューズウィークによれば、インデペンデントは「オーストラリア史上、自国の環境に最も優しくない」という旨を述べていると報道し、これに対しニューズウィークは「オーストラリアではなく『地球』かもしれない」と述べている[17]
外交
日本

ラッド政権下において捕鯨問題などでぎくしゃくしがちだった日豪関係の修復・強化を打ち出した。

日本との関係を「アジアにおける最良の友」「世界史の中で最もお互いに恩恵を受けてきた二国間関係の1つ」と評価している[18]

2014年7月安倍晋三首相と会談し、11月1日第一次世界大戦でオーストラリア軍とニュージーランド軍の最初の輸送船団が出発してから100年を迎えるにあたって行われる記念式典に自衛隊も参加させることで一致した。


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