「トップテン」シリーズは、1969年から1990年にかけて、日本テレビ系列で月曜20時台の枠で生放送されたランキング形式の歌謡番組シリーズ。3番組制作された。全1030回放送。目次
1 歴史
2 放送された番組
3 主な記録
4 ネットしていた局
5 参考文献
6 脚注
7 関連項目
歴史
日本テレビの月曜20時台は、1953年の開局以来、長きに渡ってドラマ枠が続いていたが、やがてヒット作が少なくなった。折しも各局では、歌謡番組が流行っていた。そこで日本テレビも、かつて放送された『百万ドルの饗宴』(1963年10月 - 1966年10月。木曜20時)を母体に、『NHK紅白歌合戦』形式を織り込んだ独自の歌謡番組『NTV紅白歌のベストテン』を1969年10月6日に開始、ここに一連の「トップテンシリーズ」はスタートした。
『紅白歌のベストテン』は、アイドル歌手が人気を上げた1973年頃から一気にヒット番組となり、11年半放送した。
1981年4月6日からは、紅白対抗からランキング形式に変え、引き続き堺正章と榊原郁恵(『紅白歌のベストテン』最末期のキャプテン)を司会にした『ザ・トップテン』を開始、「ザ・ベストテン」(TBS)では当時は実施していなかった公開形式を採用し、『紅白歌のベストテン』を上回る視聴率を上げた。
1986年4月7日からは、司会を徳光和夫と石野真子に変えて『歌のトップテン』にリニューアル。1年後の1987年4月6日から島田紳助と和田アキ子に司会を変え、1988年10月からは『紅白歌のベストテン』時代からの渋谷公会堂からの公開生放送を中止し、スタジオ生放送に移行したが、人気は落ちる事はなかった。そして1989年9月に『ザ・ベストテン』が終了すると、『歌のトップテン』は唯一のランキング歌謡番組として放送されることとなる。
歌謡番組衰退はトップテンにも影響し、1990年3月26日で終了。この日19時から放送された2時間の特別番組『今夜で最後!すべて見せます 紅白歌のベストテンから歌のトップテン ?さよなら、ありがとう?』をもって、足掛け20年半、放送回数1030回に亘るシリーズ番組の歴史に幕を下ろした。そして半年後には、フジテレビでも『夜のヒットスタジオSUPER』も終了し、歌謡番組は「冬の時代」を迎える。
放送された番組
NTV紅白歌のベストテン(1969年10月6日 - 1981年3月30日、全594回)
ザ・トップテン(1981年4月6日 - 1986年3月31日、全256回)
歌のトップテン(1986年4月7日 - 1990年3月26日、全180回)
「NTV紅白歌のベストテン」では系列局代表の電話審査員に参加するか、「ザ・トップテン」と「歌のトップテン」ではハガキで曲をリクエストし、運がよかった視聴者(毎週30名)には、番組提供スポンサーからの賞品(例として花王からはカオーフェザー・メリット・ピュア・エッセンシャルなどシャンプー・リンスのレギュラーサイズといったヘアケアシリーズ半年分、江崎グリコからはアーモンドチョコレート・ポッキー・プリッツなど、コカ・コーラ ボトラーズからはTシャツ・トレーナーなどのオリジナル ノベルティ・グッズ、ネッスル日本→ネッスルからはネスカフェ・ニド・クレマトップ・ブライト等の詰め合わせ「ネッスル ギフト・セット」、日清食品からはカップヌードルなどの主力製品1ケースなど)がプレゼントされた。なお、「歌のトップテン」ではこれらに加えてテレホンカードなどの番組特製ノベルティも併せてプレゼントされた。
主な記録
最高視聴率 - 28.8%(『ザ・トップテン』、1982年5月17日放送)[1]
『紅白歌のベストテン』は最高28.3%(1973年12月24日放送)[2](ビデオリサーチ・関東地区調べ)
歴代最長司会者
女性 - 榊原郁恵(『紅白歌のベストテン』『ザ・トップテン』、1979年11月?1986年3月)[1]
男性 - 堺正章(『紅白歌のベストテン』『ザ・トップテン』、1969年10月?1986年3月)[3]
最多出場歌手トップ3(『紅白歌のベストテン』500回放送までの集計)
女性 - 和田アキ子(144回)、森昌子(139回)、桜田淳子(135回)[4]
男性 - 野口五郎(195回)、フォーリーブス(161回)、五木ひろし(147回)[4]
最多週1位獲得楽曲
女性 - 渚ゆう子「京都の恋」(13週連続。