トッド・エルドリッジ
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トッド・エルドリッジ
Todd ELDREDGE

2001年GPファイナルでのエルドリッジ
生誕 (1971-08-28) 1971年8月28日(52歳)
マサチューセッツ州
身長173 cm
選手情報
代表国 アメリカ合衆国
引退2002年

獲得メダル

フィギュアスケート
世界選手権
1991 ミュンヘン男子シングル
1995 バーミンガム男子シングル
1996 エドモントン男子シングル
1997 ローザンヌ男子シングル
1998 ミネアポリス男子シングル
2001 バンクーバー男子シングル
グランプリファイナル
1996/97 ハミルトン男子シングル
1997/98 ミュンヘン男子シングル
世界ジュニア選手権
銀1987 キッチナー男子シングル
金1988 ブリスベン男子シングル


トッド・ジェームス・エルドリッジ(Todd James Eldredge、1971年8月28日 - )は、アメリカ男性フィギュアスケート選手。1996年世界選手権優勝、全米選手権6回優勝。現在は「スターズ・オン・アイス」ツアーの常連として活動を続けている。
人物

マサチューセッツ州チャタム出身。コーチはリチャード・キャラハンミシガン州のロチェスター・ヒルズ在住だったが、2008年にフロリダに移った。1990年代を代表する名選手である。

2005年9月3日に結婚したメイガン・マックレアとは2009年3月に離婚。2012年5月26日にサブリナ・コルバチとの間に男の子が誕生。同年9月28日に結婚した。
故郷であるチャタムとの繋がり

トッドが故郷を離れてフィラデルフィアで修行していた12歳の時、両親がこれ以上トッドの練習費用を負担出来なくなり、トッドは引退の危機に追い込まれた。しかしこの時、彼の故郷であるチャタムの町の人々は、彼等の町が生んだ正真正銘の天才がキャリアを続行することを望み、速やかに「トッド・エルドリッジ・ユース・ホッケー・ファンド(Todd Eldredge Youth Hockey Fund)」を設立して彼に資金援助を開始した。

後年フィギュアスケーターとして大成功を収めたトッドはこの恩に報いるため、「チャタム再生基金(Chatham Recreation Fund)」を設立して故郷の若者たちのスポーツ活動を支援するとともに、故郷に多目的運動場を1面寄贈した。この運動場は「トッド・エルドリッジ競技場」と名付けられた。
慈善活動

天才であると同時に数多くの苦労も経験した彼は、慈善事業にも熱心に取り組んでいることで知られる。趣味のゴルフ(ハンディ6の腕前)では、毎年のように有名人によるチャリティ・ゴルフ大会に参加し、スペシャル・オリンピックへの支援や難病と戦う子供達を支援する組織のスポークスマン役も行っている。
経歴

ケープ・コッドの漁師の家に生まれる。5歳のクリスマスにスケート靴をプレゼントされてスケートを始めるが、当初両親はアイスホッケーを教えるつもりであった。しかしジャンプやスピンに興味を持っていたトッドは両親に直訴してフィギュアスケートを習い始める。両親はトッドの興味がどこまで続くものか半信半疑であったが、トッドはやがて幼稚園に行く前にも帰った後にもリンクに連れて行くようせがむようになる。トッドの情熱は本物だった。

7歳になる頃にはフィギュアスケート教室のサマー・キャンプに参加するようになり、10歳までには有力な少年選手の一角を占めるようになっていた。もはや地元ではこれ以上トッドの才能を伸ばせないことに気付いた両親は、渋々ながらもトッドをフィラデルフィアにホームステイさせて、より有力なコーチに師事させることを選ぶ。この決断は正解であった。トッドは10年に1度というレベルの天才だったのである。1985年にはノービスの国内王者、1987年にはジュニア王者、1988年にはジュニア世界王者となる。いずれも当時最年少での戴冠である。

1990-1991シーズンには18歳で全米選手権を制し、世界選手権も3位となる。トッドの将来は輝かしいものに思えたが、彼を背中の故障が襲う。この故障は長引き、3シーズンを棒に振ることになる。

1994-1995シーズン、ようやく故障から復活したトッドはNHK杯で1位(2位はフィリップ・キャンデロロ)で再び注目を浴びる。スケートアメリカ1位、全米選手権1位と破竹の勢いで世界選手権に臨むも、プログラム2回目の3回転アクセルで転倒してしまう。意を決したエルドリッジは最後の2回転アクセルを即席で3回転アクセルに変更し成功する。その意欲的な行為は大きな感動を呼んだ。この時、キャンデロロのコーチが『同じ種類のジャンプを3回試みることはルール違反であり、減点されるべきだ』と抗議したが、最終的には減点されなかった。エルドリッジは2位、優勝したのはエルビス・ストイコであった。

1995-1996シーズンは全米選手権でルディ・ガリンドに敗れて2位となる。この敗戦をバネにしたトッドは世界選手権で全てのジャンプを美しく着氷し念願の優勝を果たした。

1996-1997シーズン インディペンデンス・デイのサウンドトラックにのせてスケート・アメリカラリック杯ともに1位。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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